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ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(3)
―2008年05月31日

この記事は、「ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(2)」の続きになります。

敬愛すべき非「アカデミック」な社会学者・山本哲士(敬称略)は、次のように現代日本を描写しています。

「社会イズム〔=今日の日本社会〕の判断主体は「規則」「ルール」であって、人間ではない。人間は、規則・ルールに従うことによってはじめて、「主体=従属」者となりうる。自己判断するものは「逸脱者」となる。つまり、集団組織内においては「意志」をもってはならないのだ。これが社会イズムである。……意志とは関係性における、つまりある述語的場所における判断の出現である。……コンテクストとコンテンツとの関係が自己判断できない、自己行使できないゆえ、動こうとしないのである。動かないことで、自分でいられると思っている。意志がないと自分であるという錯覚である。……社会イズムとは、「しない」行動の画一化である。……集団が社会的に行動し個人を無視していくことは、つまりスターリニズムそのものにひっくりかえっていく」(『ホスピタリティ原論』104-5頁)。

町内会は、まさにこの「社会イズム」の典型と見なされることも多いわけですが、必ずしもそうではありません。「秩序」の崩壊を恐れ、規則化、規律化が否応なく進みつつある昨今、わたしたちの世代が引き継ぐべき「柔軟性」を、町内会に見いだすことができるのです。

交通量の多い幹線道路が走る山形新市内の町内会の例です。この町内会では、通勤途中の自家用車が、自分たちのごみステーションに立ち寄り、ごみを勝手に捨てていくことで、大変困っているそうです。そうしたゴミはたいてい分別もされていないので、そのままでは行政も引き取ってくれない。そこで、自分たちで、わざわざ詰め直さねばならず、過去には粗大ゴミを数万円払って引き取ってもらったこともあったそうです。ただし、ここで取り上げたいのは、そうした外部の人間による不法投棄ではなく、町内会の住民によるマナー違反の問題についてです。

具体的には、町内の一人暮らしの高齢者のなかに、ゴミの分別を守らない人がいるそうです。しかし、その人に対しては、1回、説明したものの直らないので、黙認することにしたのだと言います。会長さんいわく、何度も注意すると、「町内の人間がみんなで自分のことを攻撃している」と悪くとられてしまうからだそうです。「ルールを守らないのは、やはりそういう人ですからね。精神状態がよくないわけです。ほかにも、分別をしない人は何人かいますが、見ても注意はしませんよ」。

また、こうしたルール違反を当番の班長が新たに発見しても、その場では決して注意させずに、自分が後から代わりに言いに行かれる。「その場で直接言うと、『戦』になってしまう」。

さらに、深夜に隠れてルール違反のゴミ捨てをする住民も、(当人は知らないだろうが、)きちんと把握しているそうです。「だって、考えてみてください。そんなゴミは、そのままでは回収してくれないわけです。ですから私たちで、きちんと詰め直さなければなりません。見たくなくても、ゴミの中身がみえてしまうでしょう。そこから、捨てたのが誰だか分かってしまうのです」。

しかし、その人に対しても、注意はせずに黙っている。「確かに、粗大ゴミの回収で、数万円とられたときには困りましたが、普段のことは、当番の人なり私が、ちょっと臭い思いをすればそれで済むことじゃないですか」。

ゴミがカラスに食い散らかされていたり、分別がなされていないゴミが未回収のまま放っておかれていたのが、夕方になると「なぜか知らないが」きれいになっている。「しない」生活に慣れきった人びとは、「自動的に」きれいになると思い込んでしまうのかもしれません。

社会生活は、今回まで見てきたような、町内会の人間関係の柔軟さに支えられて成り立っていることを、忘れてはなりません(もちろん、「硬い」町内会もなかにはありましょう)。町内会の「機能」にのみ着目すれば、それは種々の市場や制度によって代替可能なものではありますが、しかし、町内会の「制度」を支えているのは、「非制度的な」柔軟性であり、それがわたしたちの生活の「自由」を支えるものとなっているのです。

次回以降、この柔軟性を、さらに別の側面から見ていきたいと思います。

今回の関連書籍


安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学
定価:¥ 3,885
レビュー平均:4.64.6点 (7人がレビュー投稿)
5.05.0点 読みやすいが内容は深い
5.05.0点 無題
5.05.0点 治安問題を考える際のベースキャンプ
出版日:2004-08-26
出版社:岩波書店
作者:河合 幹雄
by 通販最速検索 at 2012/12/13
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複雑性理論からみる町内会の「秩序」
―2008年04月12日

この記事は、「ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(2)」と「「行政協力員」について」を補足する内容になります。

私の主たる研究テーマは、「場所の比較社会学」による社会学理論の刷新にあり、その一つとして町内会や地域社会を対象とした経験的研究をさせていただいています。今回は、そうした社会学理論の動向を地域社会の研究と結びつけて紹介することで、求められるべき「地域の秩序」像を浮かび上がらせたいと思います。

私の理論研究を支える枠組みの一つに英国の社会学者ジョン・アーリらが展開している「複雑性の社会学」があります(ジョン・アーリ『グローバルな複雑性』吉原直樹監訳、伊藤嘉高・板倉有紀訳)。物理学者イリヤ・プリゴジンの散逸構造論以降の複雑性理論がもたらした秩序観の変容を、社会学理論に持ち込もうとするものです。

旧来の社会学は、秩序と無秩序を相対するものとして扱ってきました。秩序は正常で争いもなく結束した「良い」状態であり、無秩序は争いにまみればらばらになった「悪い」状態といったように。そして、近代社会学は、いかに無秩序を避け秩序を実現するのかを問題にしてきたわけです。

しかし、こうした秩序/無秩序観は、プリゴジンの散逸構造論によってその根底からくつがえされることになりました。簡単に言えば、我々の複雑な世界において、秩序と無秩序は一体のものであることを(もう少し正確に言えば、無秩序の中にこそ秩序が生まれ出る(=創発する)ことを)示したのです1)

地域社会を舞台にしながら、わかりやすく説明すると、次のような具合になります。

■古い秩序観(秩序/無秩序の二分法)
ある地域のなかで、Aと非Aが互いの正当性を主張し合って存在している。このような状況は、無秩序でよろしくないので、どちらとも矛盾しない新たなBを生み出して、対立を解消して仲良くやりましょう。そして、コミュニケーションを重ね、Aと非Aに「取って代わる」Bを合意によって生み出す。みんな同じBになった。無秩序はなくなり、ついに秩序が達成されました。したがって、この秩序に逆らう人間は、「敵」であり「サヨク」であり、問答無用に排除されるべきだ。内なる秩序と外なる無秩序。閉じた世界。

流動性の低い時代には、確かにこれで社会秩序が形成されます。しかし、流動性の高い今日、「敵」はテロリストとなって容易に境界を乗り越え、秩序に破壊的な打撃をもたらします。

■新しい秩序観(秩序と無秩序は一体)
ある地域のなかで、Aや非Aが互いの正当性を主張し合って存在している。このような状況は、無秩序であるが、Aと非Aのどちらとも矛盾しないBなど存在しない。Aも非Aも認め合いましょう。Aと非Aの対立は解消しないが、Aと非Aの間の「落としどころ」は見つけなければなりません。本音と建て前は別。仲良くすることはありません。そして、Aと非Aに「取って代わらない」Bが合意によって生み出される。Aと非Aが拮抗し合うところにBが生まれる(これを「カオスの縁」と呼びます)。Aと非Aの共存という無秩序の中から、Bという秩序がぎりぎりのところで生まれている。したがって、この秩序に逆ってAや非Aの絶対性を主張する人間は、「空気が読めていない」。

■町内会の「空気」
「空気が読めない」人間に対する圧力を、古い日本社会(=町内会)の非民主的体質だとして「ひとくくり」に批判し、「空気など読めなくてもいいんだ」とする開き直りがここ最近、見られます。

しかし、この「空気が読めていない」抵抗が、Aと非Aのバランスの上に成り立っているBに対する抵抗であるならば、そうした開き直りは、決して認められるべきではありません。なぜならば、それはAや非Aの一方的な正しさを主張するものと同じであり、古い秩序観によるものと同レベルの浅はかな発想にすぎないからです。

とはいえ、その「空気」が、虚構のBに仮託した同質的なAによるものであれば、非Aによる抵抗は全面的に認められなければなりません。もちろん、その抵抗が、Aを凌駕し、非Aが「自分こそが正義Bである」と主張するまでになれば、その抵抗はもはや受け入れられません。

町内会を否定するにも肯定するにも、古い秩序観に立った論が目立つようになってきたように思います。しかし、実際には、「新しい秩序観」に根ざした町内会の運営を私は見聞きしてきました(その逆も然りですが、それは町内会の「本質的な」問題ではありません)。私が記述し大切にしたいのは、そうした町内会の「空気」なのです。

---
1)イリヤ・プリゴジン、スタンジェール『混沌からの秩序』(みすず書房)が、世界的なベストセラーになった一般向けの解説書です。必読!

参考文献


グローバルな複雑性 (叢書・ウニベルシタス)
ジョン アーリ
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混沌からの秩序
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「行政協力員」について
―2008年04月11日

「しんさん」より、コメント欄に貴重な情報をご提供いただきました。

町内会長の「報酬」問題(1)#自治会の報酬 会計問題


上記は中国地方の某自治体の事例とのことです。やはり地域によって町内会の性格はさまざまです。しんさんより、この行政協力員について補足をいただきました。

  1. 行政協力員は、町が各自治会との意見交換・協力をするために、町長が委嘱している。
  2. 業務内容は、町からの依頼物等の配布収集や町からの連絡事項の伝達及び周知、町と自治会との意見交換、相互の依頼等。
  3. 非常勤の特別職として条例に基づき月額28,000円を支給。

---
むろん、仙台では、このような制度を採っていないため上記のような手当などないのですが、会計報告の問題については、似たような問題があります。

調査をさせていただくと、「会計は、たとえば、○○、○○といったかたちで適当にごまかしながらやっている。みんなそうだよ」とざっくばらんに教えてくださる会長さんに出会います。もちろん、他方で「ほかは知らないけれど、うちはきちんとやっている。会長と会計と監事がしっかりと独立した仕組みにしてあるからごまかしようがない」という会長さんにも出会います。

そして、前者について、実際に不透明な会計運営をなされている会長さんからは、「きちんとやっていたら会が回らないよ。誰も役員をやらなくなる」との切実な話を伺います。確かに、どこの世界でも、柔軟な組織運営のために裏帳簿が存在するのは当たり前でありましょう。ただ、そうした傾向は近年変わりつつあるようです。研究者の世界では、今日、少なくとも私の周りでそうしたものを見聞きすることは一切ありません。きちんと運営されている町内会もたくさんあります。運営の柔軟さを金銭面で確保するには、厳しい社会状況にあるようです。そうしたなかで、いかに地域の柔軟さを獲得していくか。

(ちなみに、町内会の話は別にして、情報の非対称性がもたらす問題は、既得権益につながっており、いやなものばかりです!)

過去のことは無理でも、せめて、今後はできる限りの情報を公開し、役員の方々のご苦労が地域全体で共有されるような風通しのよい運営にしていただくことで、町内会否定/肯定の溝を超えて地域の自治を考えていく方向しかないのではないでしょうか。そうでなければ、しんさんにご指摘いただいたような事態も訪れかねないのでは、というのが、これまでの調査経験に基づく私の実感です。
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ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(2)
―2008年03月03日

この記事は、「ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(1)」の続きです。

研究者の道は、狭く、険しく、厳しい。博士号を取って、ようやく「ひよっこ」としてゴール無き大競争のスタートラインに立つ。文字通り、この世界で生きるか、死ぬか、をかけて切磋琢磨の日々です(むろん、競争のために学問をやっているわけではありませんが、とにかく食っていかなければどうしようもありません)。

そうしていると、とかく目先の浮沈にとらわれ、大きな地平が見えなくなってきます。そんななかで、調査で、普段は接することのできない方のご自宅に(失礼にも!)上がり込み、お話が聞けるというのは、本当に恵まれたことだと思っています。国内であれ国外であれ、調査を行なう際、私は最後に、人生の先達としてのアドバイスをお願いしているのですが、今日取り上げる町内会とは別の町内会の会長さんから、次の言葉をいただいたことを、とあることをきっかけに思い出しました。

 才子才を恃み愚は愚を守る
 少年才子愚に如かず
 請ふ看よ他日業成るの後、
 才子才ならず愚は愚ならず

(不勉強ゆえ、家に帰ってこっそり調べてみたところ)『偶成』と題された木戸孝允の漢詩による言葉とのこと。意味は、

「才子は才を恃んで努力することがなく、愚者は己の愚かさを知って愚直に努力する。
少年のときは才子よりもむしろ愚鈍なのがよい。
業をなしとげた後を見よ、
少年時代の才子が今は才子ではなく、愚かに見えたものが実は愚かではなく、
全く、その逆であることに気がつくだろう。」

よくある話といえば、よくある話ではありますが、会長さんの人生遍歴をお伺いし、そして、私にこの言葉をくださった、このことが何にも代え難く、人生においてもっとも大事なことであり、それがあって始めて言葉は言葉になる(ちなみに、このことを言語派社会学では「パフォーマティビティ」(performativity 行為遂行性)と呼んでおります)。座右の銘と致します。

いい加減、本題に入ります。

やや緊張しながら、(1)でみた町内会長さんのところへとお伺いにあがりました。最初は、「この調査の何が気に入らないって、云々」とやや距離がありましたが、自営でお忙しいにもかかわらず、長くつきあってくださり、そして、柔軟な考えをもって町内会を運営されている方であるのがわかったのです。

その一例として、ここで、ゴミ処理の問題を取り上げます。この町内会は山形市の中心部に位置し、なかには単身用のアパートも建っており、ここの居住者が町内会に入っていない。そして、こうした人たちがゴミ捨てのルールを守らないそうです。しかし、そうした住民に対して、この会長は、感情的ないし強権的な態度をとったりすることなく、静かに黙認しているというのです。

「正義感で動いてはいけない。確かに、こっちは自分が正義だと思っているけれど、向こうだって自分に正義があると思っている。それを頭ごなしにやったら、余計こじれる。今も正義で戦争をやってるでしょう。でも、正義を振りかざすことよりも『正しい』ことがあるのです。ムキになって注意したら、お互いいやな気分になる。ゴミをきちんと捨てられない人がいる、その事実を事実として客観的に受け止めればいいのです。相手には、自分から気づいてもらうのを待つしかない」

「規則にしたがっているのだから自分は悪くない」という思考停止の規則主義が蔓延する現在の日本社会にあって、この町内会長の態度、さらには町内会の運営力学は、「自由」から逃避する私たちの世代にとって、どうあっても見直されなければならないことです。そして、こうした「規則破り」の柔軟さは、この町内会長にのみみられることではなく、私がお会いした町内会長の多くに見られる態度でもあるのです。

(3)につづく。
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ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(1.5)
―2008年02月01日

この記事は、「ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(1)」の続きです。

日々、さまざまなところで調査を進めていますが、そのなかで心苦しいことといえば、調査を重ねるごとに不義理を重ねてしまうことです。新たな出会いの機会が増えれば増えるほど、それまでに出会った人と出会えなくなってしまう……などと言っても、それは言い訳に過ぎないのではないか、きれい事ばかりいいやがって、本当は人でなしなんじゃないのか、と悩んでしまう。

そんな私に対して、とある町会長さんにこうおっしゃっていただいたことがありました。

「なんだ、そんなことで悩んでるのか。変なことを気にしすぎだ。別に、あんたに何かお返しをしてもらおうなんて思って会ってるわけじゃない。まだ若いんだから、自分のことを精一杯やりなさい。だけどな、もしあんたが年取ったら、若いやつらに同じように面倒見てやりなさい。それが分かってくれればいい」

この言葉を頂いて以来、私がただ一人で私に私を重ねて思い悩むことはやめにしました(私はダメじゃないかしら、という自己否定は、結局、私という自己が下した裁定である限り、真の自己否定にはなりえない。「否定のうちの安住」にすぎない、ということに気づいたのです)。もちろん、この言葉が、家なり共同体の論理のうちに「閉じたかたちで」発せられたものであれば、私は即座に拒絶することになります。

やや気取って言えば、私という意識は、私という意識を超える遥かなる時空上の連鎖の上に創発するものであり1)、であるとすれば、真の自己否定2)のために、その連鎖のさらなる時空的解放に向けて突き進もう、そう思って日本を離れ、そして歴史に目を向けて調査を続けています。

しかし、現今のネオ・リベラルな競争主義、ポスト・フォーディム的生産=消費様式は、たとえば自己実現の名のもとに、私が「私」であることをあくまで強要してくるのです。しかし、「私は私でありたくない」。もちろん、説教臭い道徳社会主義にも逃げたくない。

それに対して、私の出会ってきた町内会の方々の多くは、「私であること」と「私でないこと」の相反性3)を保ちながら活動しているようにみえたのです。そのことを、ゴミ捨て問題を取り上げて書きたかったのですが、つまらない「自分語り」をしてしまいました。

(2)につづく。

-------
1)私という意識の創発については、たとえば、安冨歩『複雑さを生きる』(岩波書店)のなかで、宮沢賢治の「わたくしという現象は/仮定された有機交流電灯の/ひとつの青い照明です」に始まる詩が取り上げられ、複雑性の理論が簡明に展開されるなかで、説明されています。また、真木悠介『自我の起原』(岩波書店)も。
2)「真の自己否定」については、ミシェル・フーコー『自己のテクノロジー』(岩波書店)。
3)「私であること」と「私でないこと」の相反性については、ジュディス・バトラーおよび山本哲士の所論。
 
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ごみ捨ての問題と町内会の「正しさ」(1)
―2008年01月11日

昨年の9月より、マカオに滞在し現地社会の調査を行なっております。また、正月は香港の国際会議での発表がありましたので、新年の挨拶もままならずすっかり不義理を働いてしまっています。申し訳ありません!

また、ブログの更新が滞っております。いずれ、マカオの町内会である「街坊会」についても紹介したいと思っております(なぜ私が環太平洋アジアの地域住民組織の比較研究に取り組んでいるのかも含め)。よろしくお願いいたします。

今回は、出国前に私が途中まで参加していた山形の調査から、町内会の「正義」についてごみ捨ての問題と関連させて書いていきます。

ごみ収集について、多くの自治体では、地区ごとに「ゴミステーション」などと呼ばれる集積所が設置され、各住民は「自分の地区の」ごみ集積所にゴミ出しをすることになっております。そして、その集積所を管理するのは地区の町内会・自治会です(行政の依頼によって)。

そして、今日の町内会を悩ましているもっとも大きな問題が、このゴミ捨てにまつわる問題です。昨年3月に東北都市社会学研究会が行なった山形市町内会調査では、実に75.7%の町内会が「ゴミ処理」に問題を抱えており、そのうち67.5%の町内会が「町内会の自力で対応している」と回答しています(ちなみに「移動や交通の問題」が第2位で36.9%、「治安・少年非行・風紀の悪化」は20.5%)。

具体的には、どのような問題を抱え、どのように対処されているのでしょうか。そこで、山形の町内会の方々から実際にお話を伺ってみたところ、地域を支える人々の間に実にしなやかな秩序感覚が生きていることに気づかされました(もちろん、町内会の脱退者に対するゴミ捨て禁止といったことが一部地域で問題になっていることは承知しています)。

たとえば、ある町内会長は、今回の質問紙調査の自由回答欄で、次のような「保守的」な見解を述べておられます。

最近の街では種々の人々の出入が多くなっている為か、他の町内では町内会に入っていない方も居ると聞く。その場合は(会費を出す、出さないには関わりなく)(情報の得られないものは)「何の面倒を見なくてもいいという法律」でも作ってもらわないと困るのでないか。ゴミも出すことは出来ない等、普段は協力しない、黙っている。但し損得に関わるときだけは大きな顔をする。「個人情報保護」などというものの拡大解釈?の出来ないよう「共同社会を営む上では必要な情報(悪用しないことの保障付で)は開示しても良い」ということをPRして。又、憲法の「基本的人権」の項に(第25条)にそれには「基本的義務」の遂行が必要だ――位の事を追加してはどうだろう。(原文ママ)

町内会否定派の方々は、このような言葉を目にするや、「だから町内会はダメなんだ」と反応されることかもしれませんが、やはり、私としては、「なぜここまでのことを言わなくてはならなくなってしまったのか」という背景事情を省みることなく、自らの「正義」に拠って立って一方的な判断を下すことは慎まねばならないと思っています。

というわけで、この町内会長さんは、今回の調査に対しても辛らつなご意見をお寄せいただいていたこともあり、意を決して、お話をお伺いに行くことにしました。

(1.5)へ続く
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仙台市コミュニティビジョン中間報告説明会
―2007年06月15日

以下、転載です。

●● コミュニティビジョン中間報告説明会 ●●

「わいわいフォーラム みんなでつくるみんなの街」を開催します


仙台市では,今後の地域のあり方や行政の支援体制などの指針となるコミュニティビジョンの策定を進めています。コミュニティビジョン検討委員会では,よりよい地域づくりについての検討を行い,中間報告をまとめました。
このフォーラムでは,委員が中間報告の内容をご説明し,地域をとりまく身近なテーマを話題にしながら,よりよい地域づくりを市民のみなさんと一緒に考えていきます。
みなさんのご意見をぜひお聞かせください!

■コミュニティビジョン中間報告説明会については
問合せ先:仙台市 企画市民局 地域政策部 地域活動推進課
電話 022(214)6129 FAX 022(211)1916
Email sim004020@city.sendai.jp
ホームページURL http://www.city.sendai.jp/simin/ti-katsudou/com/index.html
主 催:コミュニティビジョン検討委員会・仙台市

■開催日と申込み先
6月 9日(土) 広瀬市民センターセミナー室
(申込み先)宮城総合支所まちづくり推進課 392-2111(内線)5131~4
6月16日(土) 仙台市役所上杉分庁舎6階会議室
(申込み先)青葉区まちづくり推進課 225-7211(内線)6131~2
6月23日(土) 宮城野区役所6階ホール
(申込み先)宮城野区まちづくり推進課 291-2111(内線)6131~4
6月24日(日) 太白区役所5階ホール
(申込み先)太白区まちづくり推進課 247-1111(内線)6131~3
6月30日(土) 秋保総合支所2階大会議室
(申込み先)秋保総合支所総務課 399-2111(内線)5115~7
7月 1日(日) 泉区役所東庁舎5階大会議室
(申込み先)泉区まちづくり推進課 372-3111(内線)6131~4
7月 7日(土) 若林区役所6階ホール
(申込み先)若林区まちづくり推進課 282-1111(内線)6131~3

■開催時間 各会場とも午後2時~4時
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町内会は精一杯!―町内会の課題
―2007年04月18日

山形市調査では、3月の繁忙期にもかかわらず、多くの町内会の皆様方からご回答を頂き、ありがとうございました。

私事になりますが、4月に入りいくらか立場的に身軽になったので、山形の調査を進める前に、これまでの調査経験を踏まえ、仙台市町内会に対する私なりの率直な考えを記していきたいと思います。

ここ最近、町内会の重要性を理解し、町内会を何とかしようとする「外の」人たちの間では、無関心層が高まるなかで町内会に新しい存在意義(可能性)を何とか見いだそうとする動きが高まっています――福祉、防犯、防災、教育、そして自治。

しかし、実際に私たちが仙台市で実施させていただいた町内会調査では、町内会の活動が10年前の調査時に比べて非常に活発になっていることが明らかになりました(ただし親睦行事は除く;詳しくは東北都市社会学研究会のサイトにある報告書をご参照ください)。しかし、やはり無関心層は増え続ける一方なのです(無関心層の増大、役員のなり手不足……)。

つまり、「外から」いくら町内会の役割を与えても、会長や一部の役員に負担が重なるばかりで、さらに、そうした負担の重さをみた一般の人たちはますます活動から遠のいてしまう(「そんなのは行政がやる仕事でしょ」と批判する)。つまり、町内会が活発化するほど、無関心層が増える。悪循環なのです。

したがって、行政機関も含め、現場から離れたところで町内会の活性化を考えるならば、それは、仕事やテーマを「与えて」、その存在意義を高めることなどでは決してないはずです。

そうではなく、むしろ役員層の負担を軽くすることにこそ、真の活性化の鍵があります。とりわけ、各種団体の会議にも振り回される状況(今回の調査ではっきり数値で出ました)を全市的に考え直し、組織改革をはかることが求められます(このリーダーシップを発揮できるのは梅原仙台市長しかいません)。

そして、役員層が地域に目を向ける時間と余裕を確保し、各々の地域の人びとが交わり合い、そして町内会が親睦活動も含め自律的に活動できる環境を整えることです。

さらに、地域活動の活性化のためには、組織ベースではなく活動ベースの補助金体制を確立することが求められます(ただし、町内会に対する育成奨励金の「全額」を、この活動ベースの補助金へと回すことがあってはなりません)。その際には、活動主体として、地縁型の町内会とネットワーク型の組織とが連携しあえるような補助金申請の枠組みも用意しておくことが重要です。そうすることで、町内会とNPOとの相互理解の促進にもつながるはずですし(地域を良くしたいと思う心は同じなのです!)、ごくごく一部でみられる非民主的な町内会の運営や、ごくごく一部にみられる非加入者の身勝手な生活も立ちゆかなくなるでしょう。

こうして町内会もまた「開いて守る」ことで、わたしたちひとりひとりの住民、市民が、町内会を「古くさい」ものとか「翼賛体制」と見なすステレオタイプに縛られることなく、一つ一つの町内会とその歴史に対する率直な理解を進めることができるはずです。

したがって、外からやるべきことは、すでにあるいくつもの小さな流れを、その源流を大切にしながらも、自由に交わりあえるような「水路付け」をすることだけであって、「課題」や「テーマ」を与えることではない。町内会は常に精一杯なのです。

以上、若輩者ながら、日々の調査を踏まえ、現場レベルから、「町内会の課題」について簡単にまとめました。
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山形市町内会調査(第6次調査票案)
―2007年03月03日

過日お伝えしました、東北都市社会学研究会主催、山形市町内会・自治会調査の調査票について、さまざまにご指摘いただいた箇所を改め、第六次案ができあがりました。
山形市町内会・自治会等調査調査票(第6次案)

8日(木曜)の午前より印刷に入りますので、火曜に最終版を決定する予定です。よろしくお願いいたします。
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山形の町内会・自治会【お願い】
―2007年03月01日

現在、東北都市社会学研究会では山形市の地域社会を対象に調査を進めています。

その一環として、この3月に山形市の後援の下で、山形市内の全町内会・自治会を対象に、その基礎的データ収集のための質問紙調査を行うことになりました。

仙台の町内会長の方々には「あの迷惑千万な調査を山形でもやるのか」と言われそうですが、しかし、今回の山形調査では、仙台の調査で浮かび上がった課題をしっかりと反映させ、さらに非常に熱心な市職員の方々と討議を重ね、最後には複数の町内会長さんに事前の調査を行いご助言をいただき、調査票を設計してきました。

現在、研究会のサイトでは、この質問票を公開しております(現在、第5次案)。
山形市町内会・自治会等調査(質問票、PDF)

仙台での調査と比較できるように調査項目はほぼ踏襲しながらも、できるだけ会長方々にご負担をかけることなく具体的かつ恣意性を排除したデータを集めることができるよう設計されているのがお分かりいただけると思います。

週明け月曜の夜半より印刷を開始することになっており、それまで調査票の推敲を重ねていきたいと考えております。そこで、本調査票の内容や山形調査プロジェクトに関して、さまざまな方からご指摘、ご意見、ご批判をいただければ、大変うれしく存じます(研究会のサイトよりメールをお寄せください)。

東北都市社会学研究会
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~ito/atus.html

本調査は日本学術振興会科学研究費補助金によって行われます。「地域」や「コミュニティ」のあり様が今日再び全国的に大きな関心を集めるなかで、今回の町内会調査は東北地方のみならず日本社会全体の今後の方向性を探るうえで極めて重要な位置を占めております。

ご協力の程、どうか、よろしくお願い申し上げます。
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