スポンサーサイト
―--年--月--日

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

歩くこと、生きること
―2005年12月28日

 普段出会うことのない年輩の方から話を伺い、人生について教えられる。これが町内会調査の隠れた醍醐味である。
 
 泉区の加茂第一町内会の星忠志会長が、定年退職後のお遍路の記録を『四国遍路旅日記―歩き遍路は感動の連続だ』にまとめられている。会長に初めてお会いしたときには、「軽い」気持ちで「今度会長に連れて行ってもらおう」などと思っていたのだが、本をお借りして一読するやいなや、人生の「重さ」が胸を突く。

 同書の冒頭によれば、お遍路の契機は、退職後の海外旅行で遭遇された交通事故から奇跡的に無傷で生還されたことにあるという。そして「生かされている」ことのお礼として歩きお遍路を計画したのだと。

 こんな話を聞くと、私のような若年者には、つい頭の中だけで何もかも理解したような気になってしまう。生かされて在ることの有難さ。しかし、思うだけなら誰でもできる。何らかの形で示すうちにこそ、「信実」が生まれるのではないか。星会長のお遍路を追体験していくうちに、私がここに書き記せるものではないが、そのことに気づく。


 さて、下準備をしっかりしたこともあり、はじめのうちは、一日のペースを計算しながら歩く。

 こんな予定ではなかった!
 道を間違えて時間をロスした!散々だ!

 ところが、しばらくすると、とにかく「無心」で歩を進めるだけになっていく。さらには、ところどころで出会う土地の人と数十分談笑するゆとりまででてくる。

 休みながら、人に頼りながら、そうしてつくられていくペースに自らを委ねるようになっていく。一歩、一歩、歩かせてもらう。そしてついには、結願、満願成就。

 人生が人との出会いの積み重なり合いであるとすれば、お遍路の道はその人の人生の縮図でもある。したがって、一人で歩けるようなものでもなければ、一緒に歩けるようなものでもない。ただし、途中でマメを潰してしまわないよう、良き先人の教えを乞うことはできそうだ。 
スポンサーサイト
このエントリーをはてなブックマークに追加

町内会長の「報酬」問題(2)
―2005年12月25日

(この記事は「町内会長の「報酬」問題(1)」の続きです)

世間的にはいろいろと忙しい、この週末にも調査に応じてくださる。考えてみれば調査といっても、される側にとっては無益な商品しかないうるさい営業と同じである。

調査中に、こんなことをつい考えて無粋な質問をしてしまう。すると「まだ若いのだから。君も一人前になったら自分よりも若い人に同じようにしてあげればいい」とおっしゃる。有難い。

この善意の紐帯を切ってしまっては、明日の日本は無いと思う。できる限り人には優しく生きていこう。……などと書いているからといって、私は現在の町内会のありように全面的に賛成しているわけではない。私が問題にしたいのは、一部の町内会長の不正よりは、町内会をとりまく制度的な問題であり、大多数の町内会長は、その制度的な「あいまいさ」に由縁する負担を一手に引き受けているのである。

さて、町内会長の「報酬」問題であるが、中・大規模の町内会では、何からの形で手当が出ていることを昨日紹介した。しかし大多数の町内会長はそうした手当以上の出費をしているし、しかも当の会長ご自身もそのことに気づいていないのである。

泉区のとある昭和期住宅団地の定年退職された会長さんにこうしたお金の問題について聞いたことがある(この会長さんもまた好人物であるが、それは別の時に取り上げたい)。

私「会長は地域の活動のために自腹を切ったりされることがありますか」

会長「いや、そういうことはないですね。自分の金を使うのは、いろいろな会合や行事に出向くのにかかる燃費ぐらい……」

すると、横から奥さんが、

奥さん「この人はそういうかもしれませんけどね、そんなもんじゃあ、ありませんよ。毎日電話はあちこちにする、資料のコピー代もかさむでしょう、さらに付合いで飲みに出かける。本人は飲んでいい気分かもしれませんけど」

会長は渋い顔をしている――

この町内会では会長手当として年額4万円前後出ているとのことであるが、到底その額では済まないという。さらに、町内会長の職務をよく知らない町民からは、目に見える活動をしないと「お金をもらっているのに何もやっていない」と思われてしまうので、パトロール活動などを自主的にやっているという。

また、懇意にしていただいている、農住混合地域の1,000世帯を越える町内会長の場合、旧住民で長らく会長職にある方であるが、昨年まで手当はわずか年額1万円で、「今年から2万円にしてもらったが、何の足しにもならない」という。

ここでは二つの例をみただけだが、このように郊外の中・長規模の町内会では、報酬を出しているといっても、フォーマルな費用弁償にもなっていないことが大半なのである。したがって、町内会長の負担の実情をその地域の人びとにきちんと認識してもらうことがまずは必要である。とはいえ、そうした振る舞いはわれわれの美徳に反することであるから、なかなかそうもいかない。「町内会の活動はお金で済まされるものではない」(前出の町内会長)。

またその実情を知るのは、家計を把握し、会長のインフォーマルな負担を日々目にする、会長の奥さんである。が、そうした人たちが公に発言する機会もない。

では、この問題をどのように考えたらいいのか。ポイントは、フォーマル/インフォーマルをめぐる日本社会の構造転換にある。これについてはまた別の機会に取り上げてみたい。

今回の関連書籍


コミュニティ再生のための 地域自治のしくみと実践
定価:¥ 2,415
売上ランク:236630位
レビュー平均:5.05.0点 (1 人がレビュー投稿)
5.05.0点 オススメの1冊です。
出版日:2011-07-01
出版社:学芸出版社
作者:中川 幾郎 玉野 和志 林 泰義 相川 康子 田中 義岳 直田 春夫 辻上 浩司 乾 亨 田中 逸郎
by 通販最速検索 at 2012/12/13
このエントリーをはてなブックマークに追加

町内会長の「報酬」問題(1)
―2005年12月24日

 会長職に何らかの手当が割り当てられる町内会が増えている(『河北新報』11月2日号夕刊1面参照)。記事においては、青葉区のとある連合町内会区で有償派の町内会がやや上回っているとあった。

 確かに、青葉区の中心市街地にみられるような規模の小さな町内会では有償派と無償派に分かれているが、私たちが行った「2005年仙台市町内会・自治会調査」のデータに即して郊外の中・大規模町内会にまで広げてみると、何らかの手当が支払われるのがむしろ一般的になっている(図参照)。そして、私が日々町内会を回っている中での印象では、こうした中・大規模町内会では、手当が出るのはもはや当たり前で、額の引き上げが焦点になっている(この点は別の回で取り上げる)。


町内会長報酬
  図 町内会長の報酬・費用弁償(縦軸数値は世帯数)


 確かに、青葉区のとある町内会長の「住民の協力があれば、会長の負担は減る。報酬でうやむやにしては進歩がない」との指摘は真実である。が、こうした中・大規模町内会の場合には、そうもいっていられないほど、会長の負担が増している。

 まず、常識で分かるように、町内の規模が膨らめば、その分、会長の負担は増すことになる。しかし私のような部外者が想像できるのはフォーマルな部分での負担増加がせいぜいであるが、実際にはインフォーマルな部分での負担増加がはるかに大きく、これは町内会会員にも行政職員にも見えないところであるために、潜在的な問題をはらんでいる(その詳細は今回は割愛する)。

 さらに、会長の負担はさらに別のところからものしかかってくる。それは町内社会を越えた組織的関係によるものである。この詳細についても別の機会に紹介することになるが、主に連合町内会単位で実にさまざまな組織が当たり前のように存在しており、町内会長はそうした組織の理事や役員を数多く兼務している。そして、単位町内会の規模が大きくなればなるほど、そうした役職を引き受ける機会が多くなるのである(詳細は略すが、単位町内会の規模が大きくならば、それだけ連合区をなす単位町内会の数も減るという側面によるところが大きい)。町内会長は町内の地域活動を担っているだけではない。
 
 さて、こうした中・大規模町内会の場合、確かに一定の手当が出ている。しかし、とりわけ郊外の町内会がそうであるが、大部分の町内会長は「労働の対価」として、手当なり報酬なりを受け取っているのではないし、ましてや報酬のために会長職を引き受けているのではない。

 次回はこの点について明らかにする。前出の河北の記事の見出しにならっていえば、報酬の有無が「ボランティア」であるか否かを規定するものではもはやない、ということが明らかになるだろう。

今回の関連書籍


町内会のすべてが解る!「疑問」「難問」100問100答―防犯・防災から快適なまちづくりまで
定価:¥ 1,575
売上ランク:167846位
レビュー平均:4.04.0点 (1 人がレビュー投稿)
4.04.0点 町内会の全体像を知る。
出版日:2008-11-28
出版社:じゃこめてい出版
作者:中田 実 小木曽 洋司 小池田 忠 山崎 丈夫
by 通販最速検索 at 2012/12/13
このエントリーをはてなブックマークに追加

サイト開設のお知らせ
―2005年12月22日

 私の研究領域の一つに町内会・自治会(以下、町内会に表記を統一)がある。そして、たびたび実際に町内会を訪れ、そのなかでさまざまな方にご迷惑をかけてきた。たいていの方は、こころよく町内会や地域の状況・課題について話してくださり、そしてまた若輩者の愚見にも耳を傾けてくださる。ただただ有難い。

 しかし、一方で私はそうした方々のご厚意をもてあましていた。どうしてかくも親切なのだろう。そして、その背後に潜む苦悩の深さ。これから明らかにしていくように地域の問題は決して地域内で解決できる問題ではない。しかしそうした制約の中でも、文字通り身を粉にされている方々が間違いなく今日の日本社会を地域から陰で支えているのだ。

 それに引き替え自分はただただ狭い学問領域のなかで論文を生産して満足している。あまりに自分勝手に過ぎはしないか。脳天気な学問的言説が絶え間なく再生産される一方で、地域の課題は何も解決していかない。

 確かに学問や研究というのは、現実世界から一定の距離を置かなければならない営為である。現実を絶対視しそれに寄り添うのは知的怠慢である。ただし、私は研究者である前に一人の人間であり、調査に応じてくださる方もそうである。

 本サイトでは、学問的言説を離れ、日々の調査から生まれる出会いを描き、そして地域活動に携わっておられる方々の思いを伝えていくことで、町内会をめぐる制度的、非制度的問題を浮き上がらせていきたい。小さな思いがつながったとき、大きな変化は信実のうちに必ず起こる。
このエントリーをはてなブックマークに追加

Template Designed by DW99

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。