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町内会会計の不透明さ
―2006年01月29日

 しばらく、澳門に調査で出ていた。中国返還後、澳門の地域社会は驚くべき速さで変容を遂げている。ただ、帰国後の現在、2005年仙台市町内会・自治会調査の報告書作成の肝所にあり、澳門については、また後日記したい。

 『河北新報』1月25日夕刊の「再考・町内会」の第4回で、太白区の太白第二町内会での退会騒動のその後が報じられた。記事によると、騒動の発端は、総会での年間収支報告に対して不明瞭な部分がみられ、それを一部住民が問いただしたことにある。それに対して、執行部側は、十分な回答をすることが出来ず、それに業を煮やした一部住民が町内会を退会することになった。ところが、その1か月後、退会者によるゴミ集積所の利用を禁止することを町内会役員が決定。両者間の亀裂は決定的なものとなり、裁判沙汰にまでなる……

 私がここで指摘できるのは、町内会会計の不明瞭さについてである。まずは、調査結果から、町内会の収入をみてみると、全体の7割が会費、残りの大半が(公報配布手数料も含め)会員数に応じた行政からの補助金であり、支出の4割が、会員数に応じて割り当てられる補助・負担金である。「会員数」が収支において大きな意味を持っていることにまずは注意したい。

 さて、調査の最中に、とある町内会長から電話を頂き、調査票の会計に関する欄について指摘があった。すなわち、「本当の金額を書く人間など誰もいないよ。うちも総会資料のものを写しておくからね」と。

 この言によれば、会員に公開し、行政にも提出する総会資料には「本当の金額」が書かれていないということになる。どういうことか?

 町内会の収支に不透明な部分がある、と聞くと、「どうせ役員の飲食費に消えているんだろう」と思う人も少なくないだろう。しかし、件の町内会長によると、「とんでもない。町内会の運営は常に資金不足だ。そこで操作が必要になる」。

 どういう操作か? ここでは具体的には書かないが、分かりやすく言えばこういうことだ。つまり、会員数に応じて行政から補助金がもらえる際には、会員数を水増して報告する。逆に会員数に応じて負担金が割り当てられる際には会員数を少なくする。「行政もそのことはわかってはいるが見ないふりをしている。持ちつ持たれつだからね」。

 また私が実際に調査に出向く中でも、ある町内会の会員数をその隣の町内会長に述べたところ、「あれ? そんなに少なくないですよ……まあ、お金の問題とかいろいろありますからね」と、実情を話してくださったことがある。

 とはいえ、具体的には報告書で書いているが、実際にすべての町会が慢性的な資金不足に困り操作をしているわけではないし、私がお世話になっている町会の多くは会計の独立性を確保している。

 ともかくも、ここで指摘したいのは、役員層が私的流用をしているのか否かにかかわらず、これまで指摘してきたようなインフォーマルな要素は会計の面でも厳然として強くみられ、それを役員層が引き受けているということだ。



青州街坊互助会

写真 青州街坊互助会
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研究会
―2006年01月14日

 一貫して嫌ってきたのが、縁故主義(身内びいき、ネポティズム)である。無能かつ怠惰な他人がひいきされるのは、この上なく不快だ。だが、同様に無能な自分が何かしらの不公正な恩恵にあずかれる場合には、なかなか拒否できない。勝手だ。しかし、自分から恩恵を求めるほど卑屈ではない。つたない献身があるだけだ。
 
 さらに、権威主義的な権力者はいうまでもないことだが、「心」が無意味に強調される時代には、「知り合いの社会的な面倒を個人的にみてやる」ことが一つの美徳とされかねない。これこそ、インフォーマルな社会的階層の再生産の原理に他ならないのに!

 あくまで正論を貫くために、自らの「価値」を守り、他者との距離感を保つ。克己の結果、「価値」に見合う実力が得られなければ、それだけの人間なのだから仕方ない。価値無き世界は腐敗の世界。最近、忙しさにかまけて、自らの浅学さを忘れかけていたので、書いておく。

 さて、週末の連休中に、吉原教授らの科研費研究会「コミュニティ・自治・歴史研究会」が神田の学士会館で開催された(私は事務局)。初日に報告いただいたのは、市町村合併に批判的な立場から論陣を張っている小原隆治先生(成蹊大学教授/行政学・地方自治)。


2006年1月8日研究会(小原先生)

▲研究会初日の小原先生



 報告の内容は、研究会雑誌『ヘスティアとクリオ』の次号(3月刊行)に掲載されるので、ここで私が述べても仕方ないが、概略を示せば、明治と昭和の大合併に比して、平成の大合併の根拠と理念のなさが理路整然と説かれるとともに、分権から自治へという今後の改革の方向性を示された。そして、この際に問題になるのが、「自治」のありようをめぐっての地方自治体と地域コミュニティの位置づけであり、その具象の一つとして自治基本条例を考えることが出来る。そして、ご自身の実践をもとに、その可能性と「危うさ」をご指摘いただいた。

 興味深いのは、二日目に報告いただいた菊池美代志先生(帝京大学教授/都市社会学)の話もまた、町内会というグラスルーツの分析をたどりつつも、全総後の国土計画という視点から、分権と「地域自治」の関係が今日重要になってくることを強調されていたことであった。ちなみに、菊池先生の調査は講和条約直後の町内会復活期(!)に始まるが、すでにその当時から近代化論/文化型論(簡単にいえば、近代化論とは、町内会は近代化とともに失われる遺物であるとする立場であり、文化型論とは、町内会は日本の文化であり永続的なものであるとする立場)とは一線を画し、町内会を生活集団として捉える視点を一貫して提示されてきた。


2006年1月9日研究会(菊池先生)

▲研究会二日目の菊池先生


 どうやら、「コミュニティ・自治・歴史」という研究会の名前の由縁がみえてきた。なお、次号雑誌発刊の際に、ウェブ・サイトも立ち上げる予定なので、興味のある方は、そちらをご参照ください。

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元町内会長1200万円着服―町内会長の位置
―2006年01月06日

 正月早々、親戚回り+初詣の最中に空き巣被害に遭った。ただし、被害は私の財布の中身だけだ(窓ガラスの破損もあるが)。人に話すと「いくら盗られたのか」と聞かれる。しかし、金額の多寡はどうあれ、カネ自体は(盗むのではなく!)働いて稼げるものなので、それは大した問題ではない。問題なのは、働いて得たお金には(盗んだものとは違って!)くださった人の思いが込められていることだ。その思いだけは帰ってこない。

 少し青臭いことを書いた。さて、仙台に戻ってきた4日、河北新報夕刊一面の「仙台・川平 元町内会長1200万円着服」なる記事を見て、気分はさらに沈む。とはいえ、私の財布の中の金額のほうがはるかに少ないものの、はるかに大きな「罪」を犯しているのは、かの窃盗犯のほうである(むろん、町内会長の行いも許されるものではない)。

 この川平の町内会は、昭和後期に創設された町内会(約360世帯)であり、元町内会長が創設時からずっと会長を続けていた。しかし、かならずしも町内で「ふんぞり返っていた」わけではない。昭和期や平成期の住宅団地の町内会は、町内会長の威信の体系が機能していない典型であるからだ。「人間は皆、平等」というわけ。

 紙面をめくると、「再考・町内会」の第一部の連載記事が始まっており、この問題の内情がうまく書かれている(因みに第二部では、私たちの研究会の調査結果が掲載される)。詳しくは紙面を参照されたいが、町内会長の過負担と町内会員の無関心さの対照性が浮きぼりにされている。


町内会運営の困難

 【参考】町内会運営上の困難


 別の昭和期住宅団地で、勤め人でありながら町内会長をされている人が次のようにおっしゃったことがある。

「地域のあらゆる問題が、町内会長に苦情や文句としてやってくる。かつては区制というものがあって、今では町内会等育成奨励金というかたちになっていますが、そのイメージがあるためか、今でも町内会が半官半民の組織であると思っている人が多い。体育にせよ福祉にせよ、すべて町内会長のところに来る。あるいは町内会の助けを求めてくる。町内会は苦情の処理機関でいいのか、全体で考え直さないといけない時期に来ている」

 記事でも同様の事態が明らかにされており、さらに、会計監査も機能していなかったという。町内会長は聖人君子ではない。

 さて、今後、この川平の町内会では、会計の透明性を高めていく努力をしているという。しかし、この努力も現状では問題をはらんでいる。それについては、またの機会に述べたい。
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