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婚活時代における未婚・独身男性の余剰率(都道府県別)
―2012年09月22日

今日の「婚活」の厳しさの一つとして、30代、40代の未婚・独身男性の数が女性よりも遙かに多いことが挙げられる。前回は山形県の婚活男性が婚活女性よりもはるかに多いことに着目してこのことをみたが、今回は都道府県による違いに目を向けたい*1

未婚・独身男性余剰率は東高西低


まず、平成22年国勢調査の結果を用いて、30代~40代前半の「未婚者」と「独身者」(未婚者+離婚者)について、それぞれ男性がどの程度多いのか(=男性余剰率)を算出したのが下図である(図はクリックすると拡大します)。
未婚・独身男性余剰率(30代~40代前半)
未婚者の男性余剰率は、栃木県(47.9%)、茨城県(47.9%)、愛知県(45.5%)の順に高い。この数値は、未婚女性10人に対して、未婚男性が14~15人いることを意味している。逆に低いのは、福岡県(16.6%)、鹿児島県(17.2%)、長崎県(19.7%)であり、東高西低の傾向が見られる。

未婚者に離婚者を加えた独身者でみると、どの都道府県も未婚よりも余剰率は低くなる。離婚した男性が未婚女性と再婚するケースが、その逆のケースよりも多く、離婚女性が離婚男性よりも多いからであろう。

なぜ、これだけの男女差が生まれるのか


そもそも男女の出生数の差は5%程度であるのに、どうして、数10%もの男女差が生まれるのだろうか。その原理を図示すると次のようになる。
婚活の男女格差の原因
そもそもは、男性105人対女性100人で5人(=5%)の差であったものが、男女それぞれ75人が結婚したとすると、未婚者の数は男性30人、女性25人となり、男女差は5人のままであるが、比率は20%に拡大するのである。こうして、独身女性1人に対する独身男性の数は、年を重ね、周囲の婚姻率が挙がるにつれて増えていくことになる。

したがって、都道府県間の男性余剰率の差も、社会的移動の男女差とともに、婚期の違い、さらには離婚率の違いによってある程度説明できると考えられる。社会的移動については、製造業の盛んな県(愛知、静岡、北関東)は独身男性が集中しやすく、余剰率が高い傾向が認められる。

年代ごとにみる未婚・独身男性余剰率


最後に、年代ごとの未婚男性余剰率と独身男性余剰率を都道府県別に計算した。はじめに、20代後半を下図に示す。
未婚・独身男性余剰率(20代後半)
平均初婚年齢が30歳近くになった今日、未婚・独身ともに20代の男女差はまだまだ大きくないが、すでに東高西低の傾向が認められ、九州では女性の独身者の方が多い県も見られる。

以下、30代前半、30代後半、40代前半の順に見る。東高西低の傾向が次第にはっきりとしてくるのがわかるだろう。
未婚・独身男性余剰率(30代前半)
未婚・独身男性余剰率(30代後半)
未婚・独身男性余剰率(40代前半)
もちろん、これらの年代のすべての男性と女性が等しく結婚を希望しているわけではないだろうが、都道府県ごとに婚活の状況に大きな違いがあることが分かる。

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山形県の婚活(その厳しさの背景、未婚男性余剰率47.4%!?)
―2012年09月17日

今朝の山形新聞を読んで驚いた。「県の「お見合いサービス」登録者数、過去最多の伸び 8月43人増」の記事である。以下、一部引用する。

山形婚活登録者数

少子化対策の一環として県が推進する結婚支援事業で、お見合いサービスへの登録者数が8月末現在で前月比43人増の175人と、過去最多の伸びとなったことが県のまとめで分かった。県は結婚支援の新拠点「やまがた結婚サポートセンター」の業務が本格化したほか、登録代行を担うボランティアが活動を開始した成果とみており、9月以降のさらなる登録者数アップに期待する。

8月に男性29人、女性14人が加わり、登録者は8月末現在、男性133人、女性42人。30代が79人、40代が75人と30~40代が全体の9割を占める。サービスは県の委託を受けた「やまがたお見合い支援センター」が2011年1月に開始、今年5月からは新設された結婚サポートセンターが引き継いだ。

同センターが結婚希望者の同意を得た上で職業、自己PR、相手に望む点などの情報を登録、希望に合致する相手同士のお見合いを企画する。同センターはホームページ、イベントなどを通してサービスの周知を図っており、7月下旬からはお見合いのセッティング業務を本格的にスタート。既に8組がお見合いした。

さらに登録代行、お見合いの立ち会いなどを担うボランティア「ハッピーサポーター」が7月下旬から活動を開始。県内各地に配置された9人、9団体の紹介で登録に結び付いたケースが相当数あるという。県子育て支援課は「結婚希望者へのきめ細かいフォローが可能になっている。希望者は気構えることなくサービスを利用してほしい」としている。


「やまがた結婚サポートセンター」は吉村美栄子県知事の肝いりで設立され、運営は山形法人会に委託。同センター運営委託費として県は2012年度予算に約1,500万円を計上しており、記事中の「お見合いサービス」には無料で登録できる(登録方法はセンターのウェブサイトに記載されている)。

私が気になったのは登録会員数の男女比である。8月に若干女性が増えているが、それまでの男女比は3.7:1.0で、男性約4名に対して女性1名の比である。これほどまでに女性優位だとは思わず、実際の未婚者の状況を調べてみることにした。

若年未婚率―山形県は代表的な早婚地域


まず婚期の時期をみるために、平成22年の国勢調査から男性31歳、女性29歳の未婚率(結婚したことがない者の割合)を都道府県別に算出し比較した。なぜ、31歳と29歳の値を見るかというと、年齢各歳別の未婚率の全国値を調べてみると上記の年齢で未婚率が50%を下回るに至るため、この年齢が平均的な婚期の基準値となると考えたからである。
都道府県別にみる若年未婚率
上図では中央に全国値が位置しており、縦軸(女性未婚率)、横軸(男性未婚率)それぞれに向けて基準線が引かれている。つまり、
  • 図の右上:男性、女性ともに婚期が遅い。東京都、京都府が代表的で、神奈川県、奈良県などが位置する。
  • 図の左上:男性の婚期は早く、女性の婚期は遅い。福岡県が代表的で、大阪府、兵庫県などが位置する。
  • 図の左下:男性、女性ともに婚期が早い。宮崎県や山形県が代表的で、中国・四国地方、九州・沖縄地方、中部地方の多くの県が位置している。
  • 図の右下:男性の婚期は遅く、女性の婚期は早い。茨城県や山梨県など、関東、甲信越地方の県が位置している。
山形は、男女ともに婚期が早い県であることが分かる。ちなみに、図の右上の都道府県に住んでいて「まだまだ適齢期の異性は多くいる」と思って、図の左下に位置する山形県などに移住すると、なかなか大変なことになるかもしれない(とくに独身男性の場合、東京都と山形県の女性の未婚率は約15ポイントも違う!)――

生涯未婚率――山形県は生涯未婚率の男女差が大きい


次に、男女ともに50歳の未婚率をみる。一般に50歳以上に初婚を迎えるケースはごく限られていることから、50歳時点の未婚率は「生涯未婚率」として扱われる。
都道府県別にみる生涯未婚率
上図は、この生涯未婚率(平成22年国勢調査より計算)について男女差が大きい都道府県から順に並べたものである(図をクリックすると拡大されます)。最も生涯未婚率の男女差が大きいのは岩手県で15ポイント近くの差が見られる。なお、男性の生涯未婚率だけで見れば東京都は岩手県を1ポイント上回っているが、女性の生涯未婚率が断トツで高いため、男女差は大きくない。

なぜこれだけの未婚率の差が生じるのだろうか。理由は、(1)出生数の男女差(約5%)と(2)婚期の早さの違い(婚期が早ければ、独身者の母数が減り、自然数の差の占める割合が大きくなる)が大きな要因であろうが、ほかにも、(3)社会的移動の男女差、(4)男性の再婚率の高さ、(5)女性の婚期の相対的な早さ(晩婚化の影響にラグが生じる)が挙げられるだろう。以下は、山形県における年齢別の配偶関係の構成率を見たものである。
年齢別配偶関係(率・山形県)
このように、女性は離死別率が高く、未婚率と離死別率を足した値(独身率)を見れば、50歳時点で男性が25%、女性が16%となり、生涯未婚率よりも差は縮まる。さらに、この配偶関係の絶対数を見たのが下図である。
年齢別配偶関係(数・山形県)
絶対数で見ると、男性の未婚者数の多さがよく分かる。各年代ごとに男女別の未婚者数(独身者数)を合計すると次のようになる。
山形県における独身者数の男女差
本記事の婚活登録者の90%を占める30~40歳代では、男性の独身者が1万5千人も多く、男性の31%が余剰(!?)である。さらに、離死別者を除いた未婚者に限れば男性の方が2万人も多くなってしまう(余剰率47.4%)。結婚を望む独身男性にとっては厳しいデータであるが、とにかくも結婚を望むのであれば、相手の結婚歴にはこだわっていられないだろう。

独身者の年間所得


記事中では「希望に合致する相手同士のお見合いを企画する」とあり、実際に登録シートをみてみると、年齢、身長、血液型、学歴、職業、年収、家族構成などが挙げられている。ここでは、データの把握しやすい年収について見る。

週刊ダイヤモンドの記事によれば、(高収入ではなく)「平均的な年収を希望する」女性が実際に相手に望む年収は30歳代で693.4万円、40歳代で727.2万円であるという(余談ではあるが、残念ながら、私の年収では、この希望には応えられない)。

では、山形県の独身者の年収は実際にどの程度なのだろうか。そのものズバリのデータが見当たらなかったため、平成19年就業構造基本調査から単身世帯の年間所得を確認する(残念ながら、男女別のデータではない)。
単身世帯の年間所得(年収)
少し低めに600万以上の割合をみても、30歳代では13%(約1,600人)、40歳代でも18%(約1,600人)しかおらず、まったく「平均的」ではないことがわかる(このなかに女性がまったく含まれていないと極端に仮定しても、割合は倍になるだけである。しかも、これらの年収層が必ずしも婚活をしているとは限らない)。

ちなみに、この600万という基準を小倉千加子はこう解説している。すなわち、(首都圏で)会社員として働いている自分の年収は300万円あり、結婚によって主婦になるならば、300万円の損失が生まれることになる。その分を男性には稼いでもらいたい。さらに、今の自分の年収より低い男性は尊敬できない。したがって、300万円+300万円以上=600万円以上になるというわけである。

実際の未婚女性が相手に望む年収は高くない


ただし、山形の婚活女性もまた同様の希望を持っているとするならば、冒頭で見た県のお見合いサービスの男女比を持ってしても、女性からみれば、(年収だけでみても)「希望に適う男性が全然登録されていない」ということになるのだろう。

とはいえ、上記の希望年収は、結婚相談所「ノッツェ」(入会金8万円、月会費1.35万円)を運営する(株)結婚情報センターが会員を対象に行った調査である。したがって調査対象者は条件志向が強く、必ずしも未婚女性を代表するものではないだろう。

そこで、一般的な独身女性が相手に希望する年収を調べてみよう。データはやや古いが、「少子化時代の結婚関連産業のあり方に関する調査研究」である。ここでは、同調査の20~44際の一般独身者の個票データを分析した水落正明の研究(2010)を利用する。

同調査では、まず「相手の年収を気にするか」を聞いており、「少なくとも何万円以上という具体的な金額がある」、「自分より年収が高い」、「自分より年収が低い」、「その他」、「気にしない」の選択肢が用意されている。

水落は、「自分より年収が高い」の回答者については回答者自身の年収を採用し、「気にしない」の回答者については「希望年収ゼロ」として扱うことで、次のような最低希望年収累積曲線を描き出している。
独身女性が男性に望む最低希望年収
いずれの地域も年収600万円以上が最低条件だとする女性は、0~4%程度にすぎないことがわかる。また、北海道・東北と中国・四国・九州は、他の地域も年収条件は緩やかであり、300万未満でよいとする割合は、関東49.3%に対して、北海道・東北は62.8%、中国・四国・九州は69.2%に達している。さらに、400万未満に幅を広げると、関東でも70.1%、北海道・東北は84.0%、中国・四国・九州は88.4%となり、大多数の女性の希望を満たせることになる(あくまで「最低」希望だが……)。

(なお、一定以上の年収(「最低○○万円以上」、「自分よりも高い」)を求める者の割合は、34歳までは80%前半を維持し、35歳以降、大きく減少していき、40~44歳では71.3%になる。)

以上を受けて山形県の単身男性の年収(2007年調査)に再び目を向けると、年収400万円以上の割合は、30歳代で27.6%、40歳代で40.0%、さらに、年収300万円以上でみると、30歳代で45.7%、40歳代で55.6%となり、男女の絶対数の差を除けば、経済条件によるミスマッチはほとんどないと言えるだろう。

したがって、「女性が経済面で高望みをしている」などとして結婚にシニカルになっている男性は、現実を直視していない可能性がある。現実から目を背けるのではなく、(結婚したいならば)相対的な経済条件は脇に置いて、自らのさまざまな人間的魅力や人間的度量を見つめ直し、さまざまな出会いを求めていくことが必要なのではないだろうか。しかし、こう言いつつ、最後に次の文章を引用せずにはいられない。

女子学生は、現在の自分の生活水準を保証してくれる男を探し、男子学生はユートピア的場所となる女を探す。しかし、そんな理想の相手はどこにもいない。いやしかし、理想の相手を見つけて幸福な結婚をしている人が現にいるではないか。自分はなぜそこから閉め出されるのか。なぜ夢を追ってはいけないのか。夢を実現した一部の者への復讐の時代がこれから始まると、私は密かに覚悟しているのである。(小倉 2007: 190)


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なぜ病院から「追い出された」と感じるのか―宇都宮宏子編『退院支援実践ナビ』
―2012年09月05日

宇都宮宏子編『退院支援実践ナビ』
友人や知人から、病院から退院する際、「追い出された」という話を聞く。なぜそうした事態に至るのか? 病院内の医療提供体制のみに目を向けた近視眼的な回答をするならば、こうだろう。

すなわち、日本は、医療費抑制政策を背景とした、先進諸国と比較した場合の絶対的な医師不足、病院職員不足がみられ、低密度医療が展開されてきたために、今日の急性期医療の需要に対応しきれなくなってきている。そこで、近年、急性期医療機能の集約化を進めることで、急性期医療の効率的な提供体制の確立が目指されている。その結果として、急性期病院は急性期の治療のみを行うことになっている。

かくして、在院日数の短縮が進み、退院の時期が、患者・家族の考えるような「治療終了」ではなくなっている。すなわち、急性期の入院非適応となり、地域や他医療機関での治療・療養が可能になった時を指すようになっているのである。したがって、ときとして、患者・家族は病院から「追い出された」という感覚をもつことになるが、それは制度上やむを得ないことだ。そもそも、これまでの日本の在院日数が長すぎたのだ――

以上の背景認識自体は正しい。しかし、「制度上やむを得ないのだから、患者・家族の不満は不当なものだ」と考えるのであれば、それは間違っている可能性がある

急性期の治療は終了しても……


そもそも、急性期病院の治療は、とくに高齢者の場合、治療後も、高度な医療提供や看護・介護を受けないと生活が送れない状況となってしまうことが少なくない。たとえば、

(1)医療の高度化によって長期延命が可能となり、生命維持のために、気管切開、人工呼吸器、経管栄養といった侵襲度の高い医療処置を受けたために、自宅復帰や施設入所が困難となるケースが挙げられる。人工呼吸器の取り外しや経管栄養の中止は、尊厳死をめぐる議論と関わっており、一度導入すると中止するのは容易でないのが現状である。

(2)入院生活が長くなると、長期伏臥により認知症の進行を含む廃用症候群が生じることがある。廃用症候群とは、「医療安全」と「安静第一主義」のもと、長期の安静伏臥により、身体活動量が低下することで引き起こされる心身機能の二次的な障害である。1週間の伏臥で筋力は15~20%低下し、その回復には1か月かかる。さらに、長期伏臥によって、筋力低下のみならず、関節拘縮や心肺機能低下、起立性低血圧、静脈血栓症、尿路感染症、誤嚥性肺炎、褥瘡(床ずれ)なども引き起こされる。

(3)高齢者の場合、疾患が慢性化しやすく、合併症や後遺症も生じやすいことから、退院後も継続した治療や医療管理の必要なケースが多くなる。前述の在院日数の短縮がそうしたケースの割合を高めている。ところが、患者・家族は治療のポジティブな面を強く見てしまう傾向があり、かならずしもこのことを理解した上で治療を受けていない。

病院内は、高度な医療管理と医療安全のために均質化された「非日常」の空間であり、ときとして、患者は生活の自律性を失い、受け身の医療が展開されてしまう環境にある。つまり、患者や家族は治療を受ける客体としての役割を引き受け、非日常にある病気や死のことを自分のこととして主体的に受け止める環境にはなく、生の自律を奪ってしまう危険性があるのだ。

命は助かったけれども、生の自律が失われたのであれば、真に生/生活を救ったことにはならない。もちろん、こう言ったからといって、人工的な延命のすべてを否定するつもりはない――人や物や場所とのつながりのなかで積極的に生きるという意志が失われることを問題にしているのである。ただし、高齢者の場合、必ずしも治療によって元の状態に戻れるわけではない。

そこで、患者・家族が、心身機能が低下した状態を受容し、新たな生活を主体的にイメージし、構築していくことで、はじめて「追い出された」という感覚に至らずに済むことができる。そして、ここで重要になるのが、退院支援の役割である。

患者・家族に寄り添う退院支援とは



宇都宮宏子
「心臓が剣山」の宇都宮先生(公式サイトより)
退院支援をめぐっては、2006年の医療法改正で、退院後の調整が努力義務化されて以降、一般に、病院から在宅や施設への移行の際には、病院の退院調整部門がそのマネジメント機能を担う部署として位置づけられている。しかし、退院調整とは異なり、退院支援は、介護サービスへつなぐといったマネジメントだけを行うものではなく、患者・家族に寄り添う病棟の「文化」にまで関わるものである。

退院支援の第一人者である宇都宮宏子によれば、退院支援は「生活の場で継続的な医療を入院中に組み立てる」という考え方が重要であるという(宇都宮先生は、先日、本学部と県医師会の共同事業「退院支援部署応援プロジェクト」の講師としていらっしゃり、その心だてに大いに感化された)。

かつては病院内での生命維持、医療の質が最優先され、退院後の生活は退院直前までほとんど考慮されてこなかった。そこで、宇都宮は、生活の場に戻るとき、「いま提供している医療は必要なのか」「在宅で継続できるのか」という視点から優先度を考え、生活の自立・自律を第一に、医療を組み立てるという発想を取り入れることになったのである。

具体的に、宇都宮は以下の3段階からなる退院支援プロセスを掲げている(1~2段階は病棟看護師が主体的に関わり、第2~3段階で調整が必要な局面になって、はじめて退院調整看護師やMSWが前面に出ることになる)。

第1段階では、退院支援が必要な患者の把握(スクリーニング)がなされ、外来での入院申込時、あるいは入院48時間以内に行われる。入院申込時の場合は、入院や手術に関する簡単なオリエンテーションを実施するとともに、入院前の生活状況、家族状況、介護体制、住宅環境を把握し、退院調整看護師が退院時の患者の状態像をイメージし、退院をテーマに話し合うのである。

ここで重要なのができる限り早期に行うことであるという。入院前や入院直後から、自宅に帰るという目的意識を共有することで、医療者とともに、病気と向き合う気持ちを維持していくことができるからである。

したがって、スクリーニングも、入院前の生活状況・生活背景だけではなく、入院目的、患者の病態、入院時のADLといった病態関連も重視し、「病名・病態から、退院の頃の患者の状態をイメージする」ことが必要になる(当然、その際には、医師等とのチームによるアセスメントが行われる)。

第2段階は、患者が病態を理解し受容するための支援と、自宅でできる医療・看護を患者・家族とともに考え、自立を目指す支援を行う段階であり、入院3日目から退院までに行われる。これは、患者・家族が、病態を理解したうえで、実現可能な退院後の生活像を主体的に設計するための支援である。

そして、入院中の医療やケアについても、生命維持最優先ではなく、患者が望む自立した生活を送ることを可能にする退院後の医療管理と生活・介護を頭に置いて行われることになる。とくに、重装備の在宅療養は危険性が高く、また過度に在宅医療に依存する生活は、患者や介護を行う家族にとって無理のかかることも多く、逆に生活の自立を遠ざけてしまうことにもなるからだ。

そして、第3段階で、ようやく、前2段階を踏まえて必要性が明らかになってきた在宅療養の環境を整えるサービス調整を行うことになる(従来の退院調整)。がん患者や高齢者で、看取りを迎える可能性のある場合、退院前カンファレンスを実施し、急変への対応についても話し合い、治療の限界や看取りのイメージを患者・家族と医療者・介護者とが共有することで、はじめて無理のない在宅療養も可能になるのである。

(以上、冒頭に掲載した宇都宮宏子編『退院支援実践ナビ』医学書院、2011年による。また、『これからの他院支援・退院調整』『病棟から始める退院支援・退院調整の実践事例』などの他の書籍も優れて実践的であり、疾患別の事例や各病院の先進的な事例が取り上げられており、勉強になる。)

生‐死をつなぎ、人間性の維持・回復をもたらす医療


さて、以上のような退院支援と退院調整の質の差をあらわすのに適した概念が、厚生経済学者アマルティア・センのケイパビリティ(潜在能力)の平等という概念であろう。ケイパビリティとは、本人の主観的な選好や選択とは別に、ある一つの目的を達成するために採用できる手段の多様性のことである。つまり、ケイパビリティの平等とは、生きる手段の多様性が万人に広く開かれていることを指す。退院支援もまた、罹患により生きる手段が限定され、生の可能性を自発的に狭めてしまうなかで、その多様性を開き、当事者の主体性を取り戻そうとする実践であるといえるだろう。

ハイデッガーを引き合いに出すまでもなく、死とはひとつの瞬間でも境界でもない。生と死は浸潤し合い、つながりあっている。死なき生はなく、そして、生なき死はない。とするならば、病にある者の生を肯定することが、その肯定的な死の前提になければならない。

「まわりに負担をかけるから早めに死にたい」と言う高齢者も多い。「無意味な延命」が問題視されるなかで、「自己決定による死」が強調されることもある。しかし、中立的な立場から自己決定を強いるだけであれば、それは、「迷惑だから死んでもよい」と言うのと同じではないか。

生/死の二分法を離れるならば、「無意味な延命」の対極にあるのは「自立・自律的な生」の構築であるはずだ。障害を抱えていようと、残された時間が少なかろうと、「どう死にたいか」を決定するためには、「どう生きたいか」が問われなければならない。

経済的な貧困であるだけであれば、就労機会を提供したり生活保護を適用すればよいかもしれない。心身に異常があるだけであれば、必要な医療や介護を提供すればよいのかもしれない。住む場所・施設がないだけであれば、サービス付きの高齢者住宅を整備すればよいのかもしれない。

しかし、そうした場面に登場する高齢者たちは、それだけでは解決できない問題を抱えていることが多い。すなわち、死の外部化によって成り立ってきた今日の〈都市〉の論理からの自身の乖離によって生まれる失望と諦念による自発的な社会的周縁化、社会的排除(社会からの「追い出し」)という問題である。

こうした自発的な社会的排除に至るプロセスにみられる負のスパイラルを断ち切るために医療が立たすべき役割は大きい。すなわち、心身の維持・回復はもちろんのこと、生と死の分断ではなく、その混和のなかで、人間性の維持・回復をもたらすという役割をも有しているのである。

退院支援機能の充実に向けて


先に触れた篠田道子先生・宇都宮宏子先生の講演会のなかで、私は、宇都宮先生に対して、「そうした退院支援を実現していくために、退院支援(調整)部署には、どの程度の人員配置が必要であると考えるのか」と質問した。宇都宮先生からは、「病棟のナースが退院支援に対する意識を持って取り組むことが必要で、そうなれば、退院調整看護師は1人いればよい」といった回答を頂いた。

ただ、山形県内の実情をみると、退院調整看護師が複数名配置されている病院(日本海総合病院は4.5名!)は、こうした退院支援に熱心に取り組んでいるのに対して、1名しか配置されていない病院(県立病院など)は、調整の業務で手一杯といった状況である。したがって、私は、是非とも体制強化をしていただきたいと考えている。

つまり、退院支援に対する文化を各病棟や外来で醸成するためにも、まずは、退院支援に対する高い意識を持った退院調整看護師を複数名配置することが必要であると考えるのだ。そして、院内全体で退院支援の態勢が整ったうえで、退院調整看護師を1名に戻せば良いだろう。

いずれにせよ、退院支援の文化が病院全体に広がることで、外来や救急、さらには、訪問看護ステーションとの連携も進み、看護部が総体として地域の医療・介護・生活の「つながり」を生み出す役割を果たすようになることを期待してやまない。

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