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無印のなかの場所―近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学』
―2013年08月21日

近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学―どこにでもある日常空間をフィールドワークする』
近森高明・工藤保則編『無印都市の社会学―どこにでもある日常空間をフィールドワークする』が法律文化社より刊行された(近森先生、献本御礼)。複製されたジャンクな消費装置であふれかえる今日の都市空間が本書の対象とされる(たとえば、コンビニ、ショッピングモール、サービスステーション、大規模量販店などなど)。

こうした都市空間は、しばしば「非場所」とネガティブに形容されてきた。つまり、非場所とは、コミュニティの集合的記憶が物質的に堆積された「場所」と対比されるものであり、「超近代」の社会関係を特徴づけるものであり、「まったく新たな孤独の経験と試練」(マルク・オジェ)を人びとにもたらすものである。非場所同士を区別するものは何もなく、人びとはすれ違いはするが出会うことはない。

無印都市―「身体の緊張」からの脱却


ところが、本書では、このように論断される都市空間のありようが「無印都市」とニュートラルに名付けられ(コールハースの「ジェネリック・シティ」からとられている)、そこでの人びとの空間的営為の厚みと広がりと豊かさとがポジティブに捉え返される。しかも、それは「『無印』化に対抗するカウンターの動きというよりも、むしろそれ自体が『無印都市』の享受の仕方の一部に含まれる動き」(p.6)であるという。

編者の一人である近森は、その特徴をベンヤミンの「気散じ」ならぬ「身散じ」の態度として捉える。すなわち、記号消費によって舞台化された都市のなかで、他者の目線を感じ個性化のゲームを繰り広げざるをえない「身体の緊張」からの脱却である。

「無印都市」のジャンクな消費装置のなかでは、身体はきわめて弛緩し脱力している。〔基本的な空間レイアウトが統一された〕コンビニのなかで、TSUTAYAのなかで、モールのなかで、私たちはとくに他者の視線を意識したりせず、まるっきり油断をしてだらしなく過ごしている。身体をゆるやかに弛緩させた状態で、全面的に調整された消費環境に、受動的に身を浸すような態度。それが〈身散じ〉の状態であり、ジャンクな消費装置は、そうした〈身散じ〉を積極的に誘発し助長する消費空間である。(p.15)

〈身散じ〉と非近代の場所


本書を読みながら、ジンメルの『大都市と精神生活』を思い起こした。ジンメルは、近代の都市生活が、時計の時間に支配された「最高度の非人格性をもった構造」をもつなかで、他者との差異化を目指す「高度に人格的な主体」を生み出すという両面性を描き出したのであった。

しかし、本書で描かれる、だらしない〈身散じ〉はもはや近代的主体の営みではない。本書では、さまざまな論者がさまざまな消費装置を対象にしてフィールドワークを行い、自ら〈身散じ〉の状態に身を置いているが、そうして生まれた論考からは、以上のような近代の両義性に回収されない非近代(反近代ではなく!)のポジティブさを読み取ることができる。たとえば、アートフェスティバルの論考からは「序列の不在を秩序付ける『つながり』は、批評を必要としない分だけライトな消費を誘発する」(p.186)といった指摘がなされる。

しかし、思うに、そうしたフレキシブルな〈身散じ〉の裏側には、消費装置に従事する人びとのマニュアル化されたノン・フレキシブルな動き(さらには舞台裏でなされる物や情報の動きの統制)があるはずだ。ただし、そうした複雑な動きのネットワーク自体もまた脱中心化されたものになっている。たとえば、大規模イベントの誘導員など、一見計画に沿ってなされているように見える行為でも、実際のところは、その場その場の状況との相互作用に基づき最適とされる行為が創り出されている。

より熟慮された、また、それほど高次に技能的ではない活動においてさえ、一般に、私たちは、ある行為の道筋がすでに実行されるまでいくつかの選択可能な行為の道筋やその結果を予期したりはしない。そのいくつかの可能性が明らかになるのは、現在の状況において行為が進行中のときだけということは頻繁にある。(ルーシー・サッチマン『プランと状況的行為』p.51)

こうした複雑な動きのネットワークのなかで、はじめて人びとの〈身散じ〉が可能になっている。つまり、人びとの〈身散じ〉とともに、さまざまな動きが相互連結・相互依存の束となって、多くの差異化が取り払われ、人びとは複雑適応系の要素となる。この複雑系こそが、今日の無印都市のなかで動力学的に創発する新たな「場所」なのかもしれない。

目次


Ⅰ 無印都市のフィールドワーク
1. 無印都市とは何か?
2. 都市フィールドワークの方法と実践
Ⅱ 無印都市の消費空間
3. 人見知り通しが集う給水所(コンビニ)
4. 消費空間のスタイルがせめぎあう場所(家電量販店)
5. 安心・安全なおしゃれ空間(フランフラン)
6. 「箱庭都市」の包容力(ショッピングモール)
7. 目的地化する休憩空間(パーキングエリア)
Ⅲ 無印都市の趣味空間
8. 孤独と退屈をやり過ごす空間(マンガ喫茶)
9. 匿名の自治空間(パチンコ店)
10. 味覚のトポグラフィー(ラーメン屋)
11. 「快適な居場所」としての郊外型複合書店(TSUTAYA/ブックオフ)
Ⅳ 無印都市のイベント空間
12. 目的が交差する空間(フリーマーケット)
13. 「場」を楽しむ参加者たち(音楽フェス)
14. 順路なき巨大な展示空間(アートフェスティバル)
Ⅴ 無印都市の身体と自然
15. 都市をこぐ(自転車)
16. 都市空間を飼い慣らす(フィットネスクラブ)
17. ビーチの脱舞台化・湘南(都市近郊の海浜ゾーン)
Ⅵ 無印都市の歴史と伝統
18. すぐそこのアナザーワールド(寺社巡礼)
19. 構築され消費される聖と癒し(パワースポット)
20. 不親切な親切に満ちた空間(寄席)

書籍情報



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生の固有性と「都市的なるもの」―『都市のリアル』(有斐閣)刊行
―2013年08月17日

吉原直樹・近森高明編『都市のリアル』
第8章「生と死のあいだ―都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護」を担当した吉原直樹・近森高明編『都市のリアル』が有斐閣より刊行された。

本書は、今日の都市社会学の教科書として位置づけられている。その筋書きはこういうことだろう。「大きな物語」を失い知や生活世界が断片化されるなかで、大上段から論じる現代社会論が失効して久しい。そうして知の細分化がなされてきた。

しかし、今日の都市では、労働にしても家族にしても健康にしても、そうした専門的議論の枠組みから外れた生の「リアル」、隙間としての「リアル」が噴出している(既存の制度的枠組みから外れる人びとの増大)。

ところが、そうしたリアル(ルフェーヴルの言う「都市的なるもの」)は人を分断するとともに人をつなぎ直すポテンシャルを有しているのではないか。そうした「都市的なるもの」に焦点を当て都市のさまざまな場面を語りつなぐことで(ベンヤミン流に言えば「翻訳」することで)、新たな都市の可能性が開かれていくはずだ――

「都市的なるもの」と医療と介護


医療や介護の世界では「生の固有性」に類する言葉がよく聞かれる(「患者/利用者さん一人ひとりに向き合う」といったように)。しかし、生の固有性とは何だろうか。空間論・場所論に根ざした都市社会学の知見からは、本質的な生の固有性というものは存在しない。

ある人間の個性は、その人のもつ人、物、場所との「つながり」が(歴史的かつ空間的に)複雑に折り重なることではじめて生まれる(=創発する)ものだ。したがって、人間の自立とは、ただ一人で大地に立てることではなく、人、物、場所との十分な「つながり」に支えられて振る舞えることを指す(社会学ではこの力を「エージェンシー」と呼ぶ)。そして、ジョン・アーリにならって言えば、身体の移動、想像の移動、情報の移動(モビリティ)が新たなつながりを作り出している。

ところが、現代の都市は、無縁死の現象に代表されるように、都市高齢者を中心に、自ら「つながり」を絶ってしまう動きが見られる。これをわたしは「自発的な社会的排除」と呼ぶ(引きこもり現象もそうだが、現代の「ポスト・パノプティコン」の時代は、「つながり格差の時代」であるとともに、「正常」から外れた人間は社会から自ら隔離される時代である)。

心身に異常があるだけであれば、必要な医療や介護を提供すればよいのかもしれない。住む場所や施設がないだけであれば、サービス付きの高齢者住宅を整備すればよいのかもしれない。しかし、そうした場面に登場する都市高齢者たちは、しばしば、それだけでは解決できない問題を抱えている。すなわち、死の外部化によって成り立ってきた生産主義的な「都市」の論理、標準化=規範化(ノルマライズ)された都市生活からの乖離から生まれる失望と諦念、そして、自発的な社会的周縁化、社会的排除という問題である。

こうした都市高齢者の自発的な社会的排除に至るプロセスに対して、本書第8章では、医療と介護がその負のスパイラルを断ち切るために果たすべき役割をみている。簡単に言えば、医療にせよ介護にせよ、その役割は、心身の維持や回復はもちろんのこと、生と死の分断ではなく、その混和のなかで、都市に住まい都市に生きる人びとの人間性の維持と回復をもたらすものでなければならないのである。

■目 次

序 章 「ゆらぐ都市」から「つなぐ都市」へ

第1部 問いのなかの都市

 第1章 計画と開発のすきまから――人間不在の足跡を読む
 第2章 都市は甦るか――不安感の漂うなかで
 第3章 不安の深層から――見えない犯罪の裏側を探る
 第4章 働くものの目線――サービス産業化する都市の内側

第2部 ゆらぐ都市のかたち

 第5章 見えない家族,見える家族――イメージの変容から
 第6章 あるけど,ないコミュニティ――町内会のゆくえ
 第7章 きしむワーク――行政のはざまで
 第8章 生と死のあいだ――都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護

第3部 つなぐ都市へ

 第9章 新しい絆のゆくえ――ソーシャル・キャピタルのいまを解く
 第10章 文化を編みなおす――夢物語から立ち上がる
 第11章 サウンドスケープ今昔――あふれる音の向こうに

第4部 都市のリアル

 終章─1 上からと下から――都市を見る漱石の目,鴎外の目
 終章─2 《都市的なるもの》の救出――ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む

参考リンク



書籍情報


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