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グローバル資本主義との付き合い方(1)―ナショナルな政治過程との連環
―2012年11月03日

towardsaninclusivedemocracy.jpg
2009年の政権交代が失敗に終わったとされるなか、鎖国主義に根ざしたナショナリズムに対する支持とともに、ポピュリズムを背景とした新自由主義(グローバリズム)が再び台頭し、両者の二項対立図式が語られるようになっている。しかし、両者は見せかけの対立に過ぎない。

かつて、スウェーデンの社会学者ヨラン・テルボーンは、「グローバル化の歴史とともに今日のナショナルな諸過程こそが、今日のグローバルな不平等を生み出している最有力の生産者である」と喝破した。テルボーンは、国際貿易と国内経済格差の間に相関関係が認められないことを実証し、不平等を生み出すナショナルな政治過程に目を向ける(Therborn, 2001,“Globalization and inequality,” Soziale Welt, 52)。

また、オルダーソンとニールセンも、1970年代以降のOECD諸国におけるグローバル化のインパクトを分析するなかで、グローバル化は確かに産業の空洞化を加速化させ、労働者の交渉力を弱め、非熟練労働者の賃金を削減させ、労働市場の競争を激化させていると主張する一方で、これらの不平等の拡大がグローバル化とは直接結びつかないものである可能性を示している。つまり、海外直接投資(FDI)や途上国からの輸入よりも、国内における農業力人口の転換、労働市場の規制緩和、社会福祉の水準の切り下げの方が強いファクターになっているというのである(Alderson and Nielsen, 2002,“Globalization and the Great U-Turn,” American Journal of Sociology, 107(5):1244-99)。

日本国内でも労働者の賃金低下がグローバル化の必然的な帰結であるかのように喧伝されているが、実際のところ、賃金が下がっているのは、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業であることが明らかにされている(児玉・乾・権, 2012,「サービス産業における賃金低下の要因―誰の賃金が下がったのか」RIETI Discussion Paper Series)。グローバルな経済格差の進展は、今に始まったことではなく、南北問題であると同時に、途上国内・先進国内の問題でもあり続けているのだ(Fotopoulos, 1998, Towards an Inclusive Democracy, Cassell)。

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とはいえ、ロサンゼルスの都市社会学者マイク・デイヴィスが『スラムの惑星』(原著2006年、邦訳2010年)のなかで指摘したように、ナショナルな政治経済過程がグローバルな経済過程と密接な関係にあることも事実である。グローバル化の進展が、金融最優先の経済構造をナショナルな次元でも生み出し、世界の不平等と不安定さを高めていることには十分な証左がある。ごくわずかの資産家と金融資本にとってのみ、今は「黄金の時代」なのである(なお、マイク・デイヴィス自身について、原著刊行時に書いた拙稿「都市社会学の貧困または奢侈―マイク・デイヴィス著、Planet of Slumsを前にして」『社会学研究』80号を参照されたい)。

けれども、後に詳しく見るようにグローバル化の光の側面を見れば、グローバル化そのものを全面的に否定する鎖国思想に組みすることはできない。冒頭に見たテルボーンもまた、短期的な資本移動の自由化が途上国に対する最も甚大な不平等をもたらしていることを明らかにしつつ、たとえば医薬品のグローバルなフローが「世界の平等化の最も重要なプロセス」になっているとも指摘している。

したがって、むしろグローバルな要因とナショナルな要因双方に対する民主的な規制(レギュラシオン)の可能性を追求していくことが求められよう。しかし、それは既存の空間秩序のなかでも可能なのだろうか。

デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義―その歴史的展開と現在
ここで参照すべきなのが批判的地理学の第一人者であるデヴィッド・ハーヴェイである。ハーヴェイが『新自由主義』(原著2005年、邦訳2007年)などの著作のなかで明らかにしているように、今日の経済グローバル化(貿易・金融の自由化、グローバル企業の成長、金融・情報・専門職のフローの流動化)には、時空間の圧縮やグローバルな連関といった空間編制と密接なつながりがみられる。そして、そこから生まれる、トポロジー的、ヘテラーキー的に構造化された新たな経済空間は、従来の国家による領土ベースの規制が働いた世界システムとはまったく異なるものとなっている。したがって、今日の資本主義の問題は、トランスナショナルな資本家階級、ワシントン・コンセンサスの陰謀とか、マルチ・レベル・ガバナンスなどといった次元を超えているようにもみえる。

ここで、都市社会学が注目するのがヘテラーキー型のミクロなレギュラシオンの可能性であるが、ただし、既存の言説とは異なり、私は、そのレギュラシオンをナショナルな政治過程に基づくマクロな規制と両立させる道筋を見出していきたい(というより国家をアクタンとみなすアクターネットワーク論の視点からすれば、ミクロ/マクロの図式は人為的なものに過ぎない)。

まずは、従来の規制/レギュラシオン論をみることから始めよう。(次に続く)

今回の書籍


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