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シンポジウム「分権・自治と地域コミュニティの再生」
―2006年07月11日

しばらく町内会調査から離れていたが、このたび仙台市のコミュニティビジョン検討委員会の町内会検討部会の委員を拝命することになったので、そろそろ調査を再開したい。人生経験の少ない無知蒙昧な人間が好き勝手なことをしゃべったって何ら価値はない。

以下、東北大学文学研究科・宮城県・仙台市・河北新報社共催シンポジウムのお知らせです。入場無料。私はお手伝いです。


シンポジウム「分権・自治と地域コミュニティの再生」開催のご案内

[開催日] 平成18年8月7日(月)14:00~16:30 
[会場] 宮城県庁2階講堂
[基調講演〕
名和田是彦 (法政大学教授)
[パネリスト]
名和田是彦
村井嘉浩 (宮城県知事)
梅原克彦 (仙台市長)
佐藤清吉 (角田市長)
[コーディネーター]
吉原直樹 (東北大学教授)
[司会]
今野俊宏 (河北新報社編集委員)
[趣旨]
グローバル化、少子高齢化、市町村合併等の進展とともに、分権、自治、コミュニティに対する関心がにわかに高まってきた。本シンポジウムでは、行政および関連研究の最前線から地域コミュニティの可能性について議論を交える。

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町内会と行政の関係―インフォーマルな関係の重要性
―2006年04月15日

若い未熟な人間が偉そうにとやかくいうべきではないと思うし、常に謙虚さをもって先人に教えを受けながら生きているが、若さ故に見えるものもある。組織に縛られた大人による若者批判に対して、稚拙ながらも一言言いたい。

私は組織とか制度とかいったものが嫌いだ。ある制度や組織に長く居座ると、その論理が身に染みこみ、「常識」となり、強い者と弱い者が生まれ、外からの批判は遮断され、現実の他者に対する共感が失われる。とはいえ、人間は一定の制度や組織なしには生きていかれないのも事実である。

しかし、すべての人が「組織人間」になるかといえば、そうでもない。何かと仙台市の行政は批判されるが、一人一人の市の職員の方と知り合い、インフォーマル(非公式的)に話を伺ってみると、硬直した考えをもっている方などごく少数であることがわかる。それぞれの方が、行政組織を、そして仙台市を少しでも良くするための方策をさまざまに考えながら、官僚組織なるものを前に苦悶しているのだ。そうした矛盾を生きている職員に対して、「血の通っていない」などと一方的に批判するだけでは(もちろんそうした批判が有効な事例はあるだろうが)、職員の方も態度を硬化させるだけだ。行政に対する紋切り型の批判は聞き飽きた。

町内会と行政の関係も「組織」的な関係をみるだけでは何も解決しない。町内会長の中にも、まさに「血が通っていない」というように行政を見る方や、「行政は勝手に施策を打ち出して、私たちの考えなど聞こうとしない」と不満をこぼす方など、批判のまなざしを向ける方々が大多数である。おそらく、そうした見方に一面の真理はある。町内会長の奮迅ぶりにはもっと多くの目が向けられるべきだ。しかし、単位町内会の組織的論理をもって官僚制の論理を批判しても、「協働」からは程遠いし、何ら生産的ではない。実際、調査を進める中でわき起こった私の疑問は、「どうしてほとんどの町内会長が同じような不満を持っているのに、何も変わらないのだ」とうことであった。組織の論理は難攻不落だ。

さらに町内会と行政のいずれにも距離をおく立場からは、紋切り型の批判がなされ、それによれば、行政と町内会は「持ちつ持たれつ」の癒着した関係にあるという。しかし、以上みてきたことから明らかなように、これほど無責任な批判もない。「外から批判する人はお気楽でいいですね」。

町内会長は、町内のさまざまな問題に対して、行政に陳情にいく。しかし、中には陳情が実にスムーズに聞き入れられている町内会もあれば、ぜんぜん相手にされていない町内会もある。後者の町内会長の方からは、やはり行政に対して「あいつらは人間じゃない」などということを伺うわけであるが、なぜ差が出ているのか。

ここで、「そこに癒着があるからだ」とか「別の力が働いているからだ」という見方をされるかもしれない。しかし、ここで問題にしたいのは、もっと別のことであって、陳情がうまくいっている町内会は、組織の論理のみで動いていないということだ。つまり、ここで強調したいのは、行政職員と町内会長の間に、人対人の関係が成り立っているということだ。

ある町内会の例。そこの町内会長さんは、陳情する際も行政職員の大変さを慮る。何もかも行政に任せてみたってダメだ。彼らも忙しいのだから。そこでインフォーマルなかたちで自分で陳情内容について下調べをする。

たとえば電灯が町内に不足していると感じたら、ただ「増やしてくれ」というのではなく、町内の地図に電灯の設置状況をマーキングし、それを職員に見せて、「やはりこことここに足りない」と指摘するわけである。すると職員の方も、そこまでするのなら、ということで陳情を聞き入れてくれるということになる。

さて、この事例を紹介したところで、「やはり仙台市は町内会におんぶにだっこではないか」という指摘をなされるかもしれない。しかし、私が指摘したいのは、「陳情する際には、町内会も頑張りましょうね」などといったことでは断じてない。

重要なことは、両者の間にインフォーマルな関係性が成立しており、それが極めて大きな意味を持っているということである。もちろんインフォーマルな関係性には、良い面も悪い面もある。ここで指摘したいのは、その良い面を展開させていくということだ。

いま、不透明な部分の多い町内会と行政の関係を明確にすることが求められている。しかし、そのことを組織の論理でフォーマルにいくら検討したって、「強さ」の論理がぶつかりあうだけで、うまくは収まらないだろう。

地域自治に携わる、行政職員や地域組織の方々は、何を思い、どのように働き、どのような矛盾を抱えているのか。その思いをインフォーマルなつながりによって樹茎のようにつないでいくこと。みなが、組織の「強さ」の論理から自由になり、すべてを明らかにし相互理解し合っていくこと。重要なのは、人と人との弱いつながり、である。

むろん、利害が絡むインフォーマルなつながりには透明性がなくてはならないが、そうしたつながりのなかからしか、これからの可能性は生まれてこないだろう。組織の論理に取り込もうとするのはやめていただきたい。
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町内会をめぐる補助金/負担金/助成金
―2006年03月08日

 3月1日付『河北新報』夕刊の連載「再考・町内会」第2部第3回では町内会支出における補助金/負担金(社協、体振、連町会、老人会、募金、交通安全、防犯、公園愛護、等々の協会……)の重さ、さらにはこうした「上納金」の使途の怪しさが取り上げられるとともに、今回の調査で得られた支出内訳のデータが掲載された。

 記事中では、補助金/負担金が町内会の支出総額の50%に達するため町内活動に支障をきたしている事例が紹介されている一方で、全市平均の年間支出についての調査結果をみてみると、補助金/負担金は全体(繰越金含む)の20%(40万4千円)にとどまっている。

 とはいえ、このことは、補助金/負担金が重くのしかかっている町内会がごく一部にとどまっていることを意味してはいない。

 今回掲載されたデータは、各町内会の予算の内訳の「金額」を合計し割合をとったものであるから、必然的に予算規模の大きい町内会の傾向が強く出てしまっているのである。

 そこで、各町内会の予算の内訳の「割合」の全市平均をとってみると、まったく異なった結果が得られる。その結果を地域別に示したのが下図である(例によって左の数値は加入世帯数である)。


町内会支出

図 町内会支出内訳(ただし繰越金を除く)


 図より明らかなように、規模が大きくなるほど、助成金/負担金の割合は低くなる。繰越金を除けば、小中規模の町内会は、やはり助成金/負担金の割合は50%を越えているのだ。

 いうまでもないが、単身世帯向けの集合住宅がない50~100世帯ぐらいの町内会と、集合住宅が林立し1,000世帯を超える町内会とでは、当然運営のあり方が異なる。フィールド調査を重ねるなかでの印象でいえば、単身世帯向けの集合住宅が無い周辺地域の200世帯ぐらいまでの小規模町内会の負担が(周りの町内会との関係性という点からしても)最も重いようにみえる。

 ただし、問題は重い/重くない、ということよりも、集まった金がどのように使われているかだ。10人の町内会長さんに会ったとすると、その内9名の方は必ずこの問題を指摘する。記事にもあった年度末のパソコン購入の他にも、「集めてばらまくだけ」「視察するだけ」「無駄な人件費をかけているにすぎない」「天下り先」等々、批判はやまない。

 私自身はまだ全体像が見渡せていないから、こうした批判に対してどのような視点をとればいいのかまだ決めかねている。しかし現実を見てみれば、地域のしがらみを断って、割り当てられた負担金を全額払わない町内会も出てきているし、上で見たように、世帯数に応じて負担額を割り当てているといっても、その負担の実質的な重さは町内会間で差があり不公平感も生まれている。

 とはいえ、何かと批判される「上部」団体もまた、「地域の狭いエゴに囚われず」全体社会のことを見据えて活動しているという自負を持っているに違いない。したがって、問題は、どのセクターがどのレベルでどこまで責任を自律的に果たすのか、それを全市的にはっきりさせることである。互いの領分をはっきりさせることで、はじめて「協働」が成立する。

※印刷所の過失により、報告書の発刊が遅れています(今週中には出来上がります)。申し訳ありません。

※前回、書くと宣言した「町内会と行政の関係」については、別の媒体で書かせていただくことにしました。
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「報告書」
―2006年02月18日

 加茂の星会長は、かつて町内会の防災資料集を作成した際、わざわざクリアファイルに一枚一枚はさんで配布したという。私なら、きれいな表紙をつけて体裁を整えてパチンと製本したくなるところだ。そうして出来上がった冊子をパラパラめくって「いいものができた」と、小さな心を満たしたい。

 しかし星さんは次のようにその意味を教えてくださった。

「防災の情報は常に最新のものでないと使い物にならないですよね。こうしておけば、新しいものを次々にはさんでいったり、取り替えたり出来るでしょう。見た目じゃないのです」

 言われてみれば、確かにそのとおり。しかし、現実にはなかなかそうはいかない。たとえば、公的な機関が出している調査報告書。すべてがそうだとはいわないが、調査のための調査になり、報告書のための報告書になっている(あるいはその後の政策策定のためのアリバイ作り)。作って終わり。税金です。

 学問の世界も同様らしく、「報告書」の類は「業績」にカウントされない(つまり研究者の「仕事」とは認められない)。専門知と日常知の境界の融解などということを言うのであれば、(本当ならば)調査協力者に直接フィードバックされる報告書も「論文」と同様に重要なものだと思うのだけど。

 さて、今回の町内会調査の報告書が完成した。私たち東北都市社会学研究会は、報告書をまとめて、はい終わり、などという姿勢では調査に臨んでいない。膨大なデータを開示するとともに、「読み物」としても読めるよう、ヒアリング調査の結果もふんだんに織り交ぜ、今後の町内会を考える上での論点を提示することにも努めた。したがって、今回の報告書は一つの新たな「始まり」となるものでもあるはずだ。「中間」成果をフィードバックし、そして、さらに調査は続く(これからもご迷惑をおかけします)。

 前回書くと宣言した私の考える町内会の今後については、調査結果を踏まえて報告書に書いてしまったので、ぜひとも報告書をご覧いただきたい。とはいえ、まずは調査に協力いただいた方にお渡しするのが筋である。その後、ウェブ上で公開されることになると思います。

 次回は、大学院と、行政と町内会の関係について。
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凧揚げ大会
―2006年02月08日

 町内会調査報告書作成の合間を縫って、日曜日に柳生南町内会の親子凧揚げ大会に行ってきた。

 去年は風がほとんど吹いておらず揚げるのに苦労したが、去年作った凧を持って家を出たときから、凧を通じて強い風を感じた。いつもなら寒いだけなのが、気が弾む。太陽も出ている。

 一緒に行った子と柳生の郊外店でお昼を食べ、いざ会場へ! 凧が揚がっているはずだから、それを目印に適当に歩けばたどり着くだろうと思っていたら、空をなびく凧が見あたらない。こんなに風が吹いているというのに!

 結局、少し遠回りしてたどり着いた。で、PTAの人に聞くと、「足がないとうまく飛ばないよ」。そうだ、長い足は邪魔だったから去年切ってしまったのだ。

 それでも残り物の紙をもらって揚げてみた。……風が強すぎても駄目なんだね。強風にあおられ田んぼの雪に突き刺さる、道路に激突する。ドラえもん凧が少し破れてしまった。

 とはいえ、焼き芋をもらい、日本酒をもらい、会長の欣也さんからは新しい凧を譲ってもらい、いろいろとご馳走にまでなった。

 問題なのはなぜここまで楽しめるのか、だ。勝手に舞台が用意されるわけはなく、当然裏で働いている方々がいる。田んぼの持ち主。薪を準備する。会場をセッティングする。焼き芋を買い出しに行く。たこの修理をする。ゴミ拾いをする。後片づけをする。

 これらすべてを町内会の役員の方が何も言わずにやっているのである。高齢の旧住民の方ばかりで、「ふんぞりかえっていばりちらして」いてもよさそうなのに、全然そんなところがない。

 会長に尋ねると、「みんな好きでやっているんだ。だから、こういうのが好きではない役員は来ていない。でも、それでいい。地域活動っていうのはそういうもんだ。押しつけてはいけない。役員は偉くない」

 町内会役員が高齢化しているのは確かだが、こうした元気な60代、70代の人が活躍している結果であれば悲観することはない。問題はもっと別な次元にある。人間関係のいざこざは世の常である。しかし、それが制度的な問題に由縁するとすれば?

 次回、町内会の今後のあり方について私の考えるところを明らかにする。ポイントは「官民協働」の本義と「町内会の自律性」である。


凧

傷む前の「仙台いか凧」
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町内会会計の不透明さ
―2006年01月29日

 しばらく、澳門に調査で出ていた。中国返還後、澳門の地域社会は驚くべき速さで変容を遂げている。ただ、帰国後の現在、2005年仙台市町内会・自治会調査の報告書作成の肝所にあり、澳門については、また後日記したい。

 『河北新報』1月25日夕刊の「再考・町内会」の第4回で、太白区の太白第二町内会での退会騒動のその後が報じられた。記事によると、騒動の発端は、総会での年間収支報告に対して不明瞭な部分がみられ、それを一部住民が問いただしたことにある。それに対して、執行部側は、十分な回答をすることが出来ず、それに業を煮やした一部住民が町内会を退会することになった。ところが、その1か月後、退会者によるゴミ集積所の利用を禁止することを町内会役員が決定。両者間の亀裂は決定的なものとなり、裁判沙汰にまでなる……

 私がここで指摘できるのは、町内会会計の不明瞭さについてである。まずは、調査結果から、町内会の収入をみてみると、全体の7割が会費、残りの大半が(公報配布手数料も含め)会員数に応じた行政からの補助金であり、支出の4割が、会員数に応じて割り当てられる補助・負担金である。「会員数」が収支において大きな意味を持っていることにまずは注意したい。

 さて、調査の最中に、とある町内会長から電話を頂き、調査票の会計に関する欄について指摘があった。すなわち、「本当の金額を書く人間など誰もいないよ。うちも総会資料のものを写しておくからね」と。

 この言によれば、会員に公開し、行政にも提出する総会資料には「本当の金額」が書かれていないということになる。どういうことか?

 町内会の収支に不透明な部分がある、と聞くと、「どうせ役員の飲食費に消えているんだろう」と思う人も少なくないだろう。しかし、件の町内会長によると、「とんでもない。町内会の運営は常に資金不足だ。そこで操作が必要になる」。

 どういう操作か? ここでは具体的には書かないが、分かりやすく言えばこういうことだ。つまり、会員数に応じて行政から補助金がもらえる際には、会員数を水増して報告する。逆に会員数に応じて負担金が割り当てられる際には会員数を少なくする。「行政もそのことはわかってはいるが見ないふりをしている。持ちつ持たれつだからね」。

 また私が実際に調査に出向く中でも、ある町内会の会員数をその隣の町内会長に述べたところ、「あれ? そんなに少なくないですよ……まあ、お金の問題とかいろいろありますからね」と、実情を話してくださったことがある。

 とはいえ、具体的には報告書で書いているが、実際にすべての町会が慢性的な資金不足に困り操作をしているわけではないし、私がお世話になっている町会の多くは会計の独立性を確保している。

 ともかくも、ここで指摘したいのは、役員層が私的流用をしているのか否かにかかわらず、これまで指摘してきたようなインフォーマルな要素は会計の面でも厳然として強くみられ、それを役員層が引き受けているということだ。



青州街坊互助会

写真 青州街坊互助会
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研究会
―2006年01月14日

 一貫して嫌ってきたのが、縁故主義(身内びいき、ネポティズム)である。無能かつ怠惰な他人がひいきされるのは、この上なく不快だ。だが、同様に無能な自分が何かしらの不公正な恩恵にあずかれる場合には、なかなか拒否できない。勝手だ。しかし、自分から恩恵を求めるほど卑屈ではない。つたない献身があるだけだ。
 
 さらに、権威主義的な権力者はいうまでもないことだが、「心」が無意味に強調される時代には、「知り合いの社会的な面倒を個人的にみてやる」ことが一つの美徳とされかねない。これこそ、インフォーマルな社会的階層の再生産の原理に他ならないのに!

 あくまで正論を貫くために、自らの「価値」を守り、他者との距離感を保つ。克己の結果、「価値」に見合う実力が得られなければ、それだけの人間なのだから仕方ない。価値無き世界は腐敗の世界。最近、忙しさにかまけて、自らの浅学さを忘れかけていたので、書いておく。

 さて、週末の連休中に、吉原教授らの科研費研究会「コミュニティ・自治・歴史研究会」が神田の学士会館で開催された(私は事務局)。初日に報告いただいたのは、市町村合併に批判的な立場から論陣を張っている小原隆治先生(成蹊大学教授/行政学・地方自治)。


2006年1月8日研究会(小原先生)

▲研究会初日の小原先生



 報告の内容は、研究会雑誌『ヘスティアとクリオ』の次号(3月刊行)に掲載されるので、ここで私が述べても仕方ないが、概略を示せば、明治と昭和の大合併に比して、平成の大合併の根拠と理念のなさが理路整然と説かれるとともに、分権から自治へという今後の改革の方向性を示された。そして、この際に問題になるのが、「自治」のありようをめぐっての地方自治体と地域コミュニティの位置づけであり、その具象の一つとして自治基本条例を考えることが出来る。そして、ご自身の実践をもとに、その可能性と「危うさ」をご指摘いただいた。

 興味深いのは、二日目に報告いただいた菊池美代志先生(帝京大学教授/都市社会学)の話もまた、町内会というグラスルーツの分析をたどりつつも、全総後の国土計画という視点から、分権と「地域自治」の関係が今日重要になってくることを強調されていたことであった。ちなみに、菊池先生の調査は講和条約直後の町内会復活期(!)に始まるが、すでにその当時から近代化論/文化型論(簡単にいえば、近代化論とは、町内会は近代化とともに失われる遺物であるとする立場であり、文化型論とは、町内会は日本の文化であり永続的なものであるとする立場)とは一線を画し、町内会を生活集団として捉える視点を一貫して提示されてきた。


2006年1月9日研究会(菊池先生)

▲研究会二日目の菊池先生


 どうやら、「コミュニティ・自治・歴史」という研究会の名前の由縁がみえてきた。なお、次号雑誌発刊の際に、ウェブ・サイトも立ち上げる予定なので、興味のある方は、そちらをご参照ください。

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元町内会長1200万円着服―町内会長の位置
―2006年01月06日

 正月早々、親戚回り+初詣の最中に空き巣被害に遭った。ただし、被害は私の財布の中身だけだ(窓ガラスの破損もあるが)。人に話すと「いくら盗られたのか」と聞かれる。しかし、金額の多寡はどうあれ、カネ自体は(盗むのではなく!)働いて稼げるものなので、それは大した問題ではない。問題なのは、働いて得たお金には(盗んだものとは違って!)くださった人の思いが込められていることだ。その思いだけは帰ってこない。

 少し青臭いことを書いた。さて、仙台に戻ってきた4日、河北新報夕刊一面の「仙台・川平 元町内会長1200万円着服」なる記事を見て、気分はさらに沈む。とはいえ、私の財布の中の金額のほうがはるかに少ないものの、はるかに大きな「罪」を犯しているのは、かの窃盗犯のほうである(むろん、町内会長の行いも許されるものではない)。

 この川平の町内会は、昭和後期に創設された町内会(約360世帯)であり、元町内会長が創設時からずっと会長を続けていた。しかし、かならずしも町内で「ふんぞり返っていた」わけではない。昭和期や平成期の住宅団地の町内会は、町内会長の威信の体系が機能していない典型であるからだ。「人間は皆、平等」というわけ。

 紙面をめくると、「再考・町内会」の第一部の連載記事が始まっており、この問題の内情がうまく書かれている(因みに第二部では、私たちの研究会の調査結果が掲載される)。詳しくは紙面を参照されたいが、町内会長の過負担と町内会員の無関心さの対照性が浮きぼりにされている。


町内会運営の困難

 【参考】町内会運営上の困難


 別の昭和期住宅団地で、勤め人でありながら町内会長をされている人が次のようにおっしゃったことがある。

「地域のあらゆる問題が、町内会長に苦情や文句としてやってくる。かつては区制というものがあって、今では町内会等育成奨励金というかたちになっていますが、そのイメージがあるためか、今でも町内会が半官半民の組織であると思っている人が多い。体育にせよ福祉にせよ、すべて町内会長のところに来る。あるいは町内会の助けを求めてくる。町内会は苦情の処理機関でいいのか、全体で考え直さないといけない時期に来ている」

 記事でも同様の事態が明らかにされており、さらに、会計監査も機能していなかったという。町内会長は聖人君子ではない。

 さて、今後、この川平の町内会では、会計の透明性を高めていく努力をしているという。しかし、この努力も現状では問題をはらんでいる。それについては、またの機会に述べたい。
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歩くこと、生きること
―2005年12月28日

 普段出会うことのない年輩の方から話を伺い、人生について教えられる。これが町内会調査の隠れた醍醐味である。
 
 泉区の加茂第一町内会の星忠志会長が、定年退職後のお遍路の記録を『四国遍路旅日記―歩き遍路は感動の連続だ』にまとめられている。会長に初めてお会いしたときには、「軽い」気持ちで「今度会長に連れて行ってもらおう」などと思っていたのだが、本をお借りして一読するやいなや、人生の「重さ」が胸を突く。

 同書の冒頭によれば、お遍路の契機は、退職後の海外旅行で遭遇された交通事故から奇跡的に無傷で生還されたことにあるという。そして「生かされている」ことのお礼として歩きお遍路を計画したのだと。

 こんな話を聞くと、私のような若年者には、つい頭の中だけで何もかも理解したような気になってしまう。生かされて在ることの有難さ。しかし、思うだけなら誰でもできる。何らかの形で示すうちにこそ、「信実」が生まれるのではないか。星会長のお遍路を追体験していくうちに、私がここに書き記せるものではないが、そのことに気づく。


 さて、下準備をしっかりしたこともあり、はじめのうちは、一日のペースを計算しながら歩く。

 こんな予定ではなかった!
 道を間違えて時間をロスした!散々だ!

 ところが、しばらくすると、とにかく「無心」で歩を進めるだけになっていく。さらには、ところどころで出会う土地の人と数十分談笑するゆとりまででてくる。

 休みながら、人に頼りながら、そうしてつくられていくペースに自らを委ねるようになっていく。一歩、一歩、歩かせてもらう。そしてついには、結願、満願成就。

 人生が人との出会いの積み重なり合いであるとすれば、お遍路の道はその人の人生の縮図でもある。したがって、一人で歩けるようなものでもなければ、一緒に歩けるようなものでもない。ただし、途中でマメを潰してしまわないよう、良き先人の教えを乞うことはできそうだ。 
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町内会長の「報酬」問題(2)
―2005年12月25日

(この記事は「町内会長の「報酬」問題(1)」の続きです)

世間的にはいろいろと忙しい、この週末にも調査に応じてくださる。考えてみれば調査といっても、される側にとっては無益な商品しかないうるさい営業と同じである。

調査中に、こんなことをつい考えて無粋な質問をしてしまう。すると「まだ若いのだから。君も一人前になったら自分よりも若い人に同じようにしてあげればいい」とおっしゃる。有難い。

この善意の紐帯を切ってしまっては、明日の日本は無いと思う。できる限り人には優しく生きていこう。……などと書いているからといって、私は現在の町内会のありように全面的に賛成しているわけではない。私が問題にしたいのは、一部の町内会長の不正よりは、町内会をとりまく制度的な問題であり、大多数の町内会長は、その制度的な「あいまいさ」に由縁する負担を一手に引き受けているのである。

さて、町内会長の「報酬」問題であるが、中・大規模の町内会では、何からの形で手当が出ていることを昨日紹介した。しかし大多数の町内会長はそうした手当以上の出費をしているし、しかも当の会長ご自身もそのことに気づいていないのである。

泉区のとある昭和期住宅団地の定年退職された会長さんにこうしたお金の問題について聞いたことがある(この会長さんもまた好人物であるが、それは別の時に取り上げたい)。

私「会長は地域の活動のために自腹を切ったりされることがありますか」

会長「いや、そういうことはないですね。自分の金を使うのは、いろいろな会合や行事に出向くのにかかる燃費ぐらい……」

すると、横から奥さんが、

奥さん「この人はそういうかもしれませんけどね、そんなもんじゃあ、ありませんよ。毎日電話はあちこちにする、資料のコピー代もかさむでしょう、さらに付合いで飲みに出かける。本人は飲んでいい気分かもしれませんけど」

会長は渋い顔をしている――

この町内会では会長手当として年額4万円前後出ているとのことであるが、到底その額では済まないという。さらに、町内会長の職務をよく知らない町民からは、目に見える活動をしないと「お金をもらっているのに何もやっていない」と思われてしまうので、パトロール活動などを自主的にやっているという。

また、懇意にしていただいている、農住混合地域の1,000世帯を越える町内会長の場合、旧住民で長らく会長職にある方であるが、昨年まで手当はわずか年額1万円で、「今年から2万円にしてもらったが、何の足しにもならない」という。

ここでは二つの例をみただけだが、このように郊外の中・長規模の町内会では、報酬を出しているといっても、フォーマルな費用弁償にもなっていないことが大半なのである。したがって、町内会長の負担の実情をその地域の人びとにきちんと認識してもらうことがまずは必要である。とはいえ、そうした振る舞いはわれわれの美徳に反することであるから、なかなかそうもいかない。「町内会の活動はお金で済まされるものではない」(前出の町内会長)。

またその実情を知るのは、家計を把握し、会長のインフォーマルな負担を日々目にする、会長の奥さんである。が、そうした人たちが公に発言する機会もない。

では、この問題をどのように考えたらいいのか。ポイントは、フォーマル/インフォーマルをめぐる日本社会の構造転換にある。これについてはまた別の機会に取り上げてみたい。

今回の関連書籍


コミュニティ再生のための 地域自治のしくみと実践
定価:¥ 2,415
売上ランク:236630位
レビュー平均:5.05.0点 (1 人がレビュー投稿)
5.05.0点 オススメの1冊です。
出版日:2011-07-01
出版社:学芸出版社
作者:中川 幾郎 玉野 和志 林 泰義 相川 康子 田中 義岳 直田 春夫 辻上 浩司 乾 亨 田中 逸郎
by 通販最速検索 at 2012/12/13
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