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公衆衛生学実習:デザイナーベイビー~自己の改変と社会の改変のあいだ~
―2015年08月01日

「デザイナーベイビーをめぐる意識調査」
今年度から、本学医学科4年の公衆衛生学実習に関わることになった。この実習は、学生が10数名ずつに分かれ、チュートリアル教育方式で教員がつき、グループ学習・調査を進めるというものだ。今年は、約1か月のあいだに、週1、2コマの時間が割り当てられた。

私は、「生命倫理」班を担当することになり、具体的なテーマは、班員一人ひとりからの提案と投票の結果、「デザイナーベイビー」になった。もちろん、私は、「デザイナーベイビー」の専門家でも何でもないので、学生さんたちが自主的に学習をし、調査の仮説を設定する作業を行うことになった。

デザイナーベイビーとは


初回にテーマ設定ができたので、次回(翌週)までに、各人がデザイナーベイビーに関する文献を1本ずつ読んで、発表することになった。

(ちなみに、その際、「読んでくる文献が重ならないように、選んだ文献を班長に報告して、班長が確認したらどうか」と提案したら、「LINEでグループを作って共有するので問題ない」と即答されました。)

デザイナーベイビーとは、「優れた」形質をもつドナーからなる精子・卵子バンクから、望んだ形質が子供に現れる可能性が高まる卵子と精子を組み合わせたり、あるいは受精卵の段階で直接遺伝子操作を行なうことで、親が望む外見や能力などをもった子どもを生まれさせようとする技術だ。

多くの人びとは、こうした遺伝子操作を非倫理的なことであると考えるだろう。現在のところ、先天性疾患の治療法としての遺伝子操作の研究が進んでいるが、そうした研究も、デザイナーベイビーにつながりかねないとの懸念も根強く、どこまでを遺伝子操作の対象とすべきかの議論もなされている。

他方で、そうした遺伝子の強化(エンハンスメント)が、(かつての優生学とは異なり)個人の自由に委ねられるのであれば、何も悪いことはないと主張する人もいる。親は自分たちの子どもに最良のスタートを切らせる自由を持つべきだし、貧富の格差が問題になるのであれば、課税や補助金によって、子どもの遺伝子の経済格差が生まれないようにすれば良い、などと主張するのである。

問題意識と仮説設定~個々人の生命倫理観は、個人の人生経験や自己評価によって左右される


しかし、本当に個人の選択の問題に過ぎなくなるのか。よく言われるように、遺伝子操作に対する私たちの志向が、人びとに過度のエンハンスメント(社会適応のための自己強化)を強いる社会の構造がもたらしている面もあるとすれば、遺伝子操作を個人の選択に委ねることは大きな問題をはらむのではないか――これが、学生の皆さんが出してきた問題意識であった。

つまり、個々人が一定の倫理観(デザイナーベイビーに対する懸念)を持っていても、デザイナーベイビーを生み出す遺伝子操作技術への態度が、人生経験や自己評価によって左右されてしまう可能性があるならば、過度の競争を強いる社会のありようが変わらない限り、自然と遺伝子操作の対象が拡大し、底なしの競争が引き起こされる危険性があるのではないか、というわけだ。

そこで、「社会に影響され形成された自己評価が、当人の生命倫理観に影響を及ぼす」という仮説設定にもとに、デザイナーベイビーの技術が利用可能となった場合にどのような使い方をするのかに関するアンケートを、医学部内の教職員と学生に対して実施することになった。

アンケートでは、まず、自分の外見・健康状態・能力(学力・運動能力など)に対する自己評価(満足度)を聞いており、次に、自分がデザイナーベイビーを利用する場合に、外見・健康状態・能力それぞれについて、夫婦間の遺伝子を用いてであれば選択したいか、他人の遺伝子を用いて外見を選択したいのかを聞いている(その際、配偶者の外見・健康状態・能力のことは考えないものとされている)。個人属性は、年齢、性別、子どもの有無、職業(医療従事者/非医療従事者/学生)である。

能力に不満を持つ人は能力に関する遺伝子選択をしたいという結果に


集まったデータを集計し多変量解析を含む分析を行った結果、実際に、とりわけ能力に不満を持つ人は能力に関する遺伝子選択をしたいと思っているなど、個々人の生命倫理観が、個人の人生経験によって左右されうることが示された(詳しくは、報告書のPDF)。そして、報告書では、次のような結論に達している。

今回のアンケートによって、個々人の生命倫理観が、個人の人生経験によって左右されうることが示された。人はそれぞれ自分の中に一定の生命倫理観というものを持っているだろうが、個人の悩み・不安――そして、その背景にあるかもしれない社会からのエンハンスメントの圧力――によってその生命倫理観が揺らぐことは十分にありうる。実際、今回のアンケートでも、能力に不満を持つ人は能力を選択したいと思っているという結果が出た。

そして、将来、自己決定・自己責任の名の下にデザイナーベイビーの技術が一般的になった場合、それを使わないと選択した親は、子に与えられるものを与えなかったと社会から責められることになるかもしれない(さらには、子どもからも責められることになるのかもしれない)。その結果、ありのままの子どもを愛せなくなる可能性も指摘できる(子どもも「自分が生まれてきて良かったんだ」と思えなくなるかもしれない)。能力がたまたま与えられたものであるという意識がなくなったときに社会の連帯が失われるという指摘もある。

したがって、デザイナーベイビーが利用できるようになる未来を見越して、その生命倫理上の是非はもちろんのこと、他人の能力までをも自分のものにしたいという思いが生み出す底なしの能力競争から人びとを守るという点から議論を重ねることが必要である。健康に関する限定的な利用を認める場合でも、健康と不健康を適切に線引きする法整備がなされなければならない。

もちろん、短い時間かつチュートリアル教育なので(基本的に教員は手を出さない)、ひとつの研究としてみると、突っ込みどころはたくさん残されている(報告書の分量も制限があった)。しかし、「この手の実習は、往々にして、本気で取り組まず、単に『~~について調べました』になるんだろう」という私の思い込みに反して、今回の実習は、明確な問題意識に基づき、仮説を立て、統計学的に検証するというプロセスをしっかりと踏んでいる。

最後の発表会(プレゼン)では、他の班も同様に、課題設定から仮説検証に至るプロセスを踏んでおり、プレゼン発表も訴求力を高める工夫(聴衆への問いかけから発表が始まるなど)がさまざまになされていた(テーマは、大学の室内環境と集中力、ボディイメージのズレと健康意識、医学生の就職先希望と大学の魅力、動脈硬化予防を目的としたAI検査の活用などなど)。

チュートリアル形式は、教員の一方的な自己満足の講義に終わることなく、学生と教員が刺激し合える関係を作れるという点でも優れていると感じた。

designbaby2015.jpg
▽学生と教員による投票結果の発表後の記念撮影。

関連リンク



関連文献



完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-
マイケル・J・サンデル
ナカニシヤ出版
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災害支援NPOと地域コミュニティの連携―『東日本大震災と被災・避難の生活記録』刊行
―2015年03月11日

『東日本大震災と被災・避難の生活記録』表紙
東日本大震災から4年が経った今日、『東日本大震災と被災・避難の生活記録』(吉原直樹・仁平義明・松本行真編、六花出版)が刊行された(パンフレット)。

私は、山形をリードする災害支援NPOの代表である千川原公彦さん(twitter, facebook)と、「災害支援NPOと地域コミュニティ―越境する災害文化と鍵を握る平時からの協働」と題した一章を寄せている。以下、簡単に紹介したい。

(ちなみに、山形県は被災者の方を最も多く受け入れるとともに、本学医学部・附属病院では被災地に対する全国医学部からの中長期的な医療支援(医師派遣等)を調整する被災者健康支援連絡協議会の事務局を担っている。)

東日本大震災の発災後には、数多くのボランティア・NPOが全国各地から被災地に向かった。その数は、各社会福祉協議会が把握しているだけでも、被災後2か月間で30万人、被災後約1年間で100万人近くに達した。ただし、阪神大震災を経験した災害NPO関係者たちの実感では、この人数はもっと増えて然るべきであったという。

その原因の一つとして指摘されるのが、「迷惑ボランティア」論の流布によるボランティア自粛とともに、その背景をなしてもいる被災地の「受援力」の問題である。

そこで、私たちの章では、はじめに、全国から集まったボランティアの主たる引き受け手となった被災地の社会福祉協議会(社協)の性格をその歴史的経緯を踏まえて確認した上で、主に今日までの千川原さんの活動をベースに、私のボランティアの経験と調査も踏まえ、東日本大震災以後に社協(広くは地域コミュニティ)とNPOの連携がどのようにして行われたのか/行われなかったのかを検討した。

震災時における災害支援NPOと社会福祉協議会の連携


震災直後の被災地域の社協や行政は「どんな人が来るかわからない」「ボランティアに何ができるのか」「ボランティア、NPOは混乱の元」という認識が支配的であった。自らもまた被災者であり、人手不足やライフラインの未復旧、危険区域の存在などの理由から、多くのボランティアが入ってきてもケアできない、マネジメントできないといった理由から受け入れを拒否する地域が多く見られた。

概略だけ示せば、そうした行政や社協は、ボランティアを一律に扱ってしまい、災害支援に関する専門知識を有さないボランティアと専門知識を有するNPO等を区別する視点を持っていなかった。実際、阪神大震災でも、一般のボランティアと経験者が区別されず入り乱れたために大混乱が起きたのだが、そのときの経験が「ボランティア迷惑論」という誤ったかたちで継承されてしまったのである。

したがって、本来であれば、被災直後は、ボランティア・コーディネートや避難所運営に関する専門知識と実地経験を有するNPOのみ受け入れ、協働してボランティアセンターの体制作りを速やかに行い、その後に一般のボランティアを受け入れるという態勢をとる必要があったのではないだろうか。

ただし、社協とNPOの連携がなされなかったことについては、NPOやボランティアの側にも問題があったことも見落としてはならない。被災者の生活に土足で入り込むボランティアの存在は言うまでも無く、とりわけ被災後一か月は、被災地域に対して上から目線で地域の取り組みを否定して、身勝手なアドバイスや提案だけをして帰ってしまう団体も見られた。

さらに、NPOによる独自支援がはらむ一時性と過剰性の問題(被災者に対して安請け合いにより過剰の期待を抱かせ、自立性までも削ぐ)を考えると、NPOと地域コミュニティとの適切な関係を構築するために、社協のような継続的な中間支援組織が介在することが重要なのである。

平時からの連携と越境する災害文化


したがって、信頼の置けるNPOをどのように見極めるのかがポイントであり、そのために、平時からのNPOとの連携が重要になってくる。続く第2節では、震災時における地域とNPOの連携のために必要な平時からの連携について検討している(NPOの関与による防災福祉マップ作成、要援護者支援、避難所生活準備)。

ここまでは、災害に対する専門知識を有するNPOの活用という視点から論を進めているが、考えてみれば、専門知はNPOの専権事項ではない。被災地の人びともまた、地域に根ざした当事者としての固有の知を形成している。千川原さんが支援に入っている宮城県塩竃市寒風沢島では、長期的な復興支援によって山形県内の水害地域との地域を越えた人間関係が醸成されている。

こうしたありようは、それぞれに災害文化を有する地域同士が(時としてNPOが媒介して)広域的につながり、一方の地域が被災した時には他方の地域が支援に入るという相互支援協定を結ぶという姿の萌芽となるかもしれない。実際に、山形県では、県の事業として防災アドバイザー育成事業に取りかかり、地域内にリーダーを育てる取り組みも始めている。

もちろん、東日本大震災時には、社協同士の連携も広くなされていたし、震災対応が進むなかで、被災地内外のボランティアセンター同士の連携も見られるようになっていった。しかし、被災当初から機動的な対応を見せたのは、震災以前から社協同士の個別的関係が築かれていた社協同士であった

そして、物理的な支援はもとより、支援者側の社協が自らの地域のNPOやボランティアの特性を判断することができたために、そうしたNPOやボランティアを一律的に門前払いにすることなく、有効に連携し、効果的なボランティアセンターと避難所の運営をすることができたのである。

いずれにせよ、こうした持続的かつ越境的な支援/受援関係こそが行政、社協、NPO、コミュニティといったアクターの違いを超えて折り重なり合うことで、さまざまな垣根を越えた人と知のネットワークが生まれる。そして、実際に、東日本大震災では、持続的かつ越境的な支援/受援関係がさまざまなかたちで生まれている。

わたしたちは、真の復興(ポジティブな未来)のためにも、東日本大震災の悲痛な経験に根ざした災害の知をひとつの地域にとどまらせてしまうことなく、大きな集合的記憶として受け継いでいかなければならない。

目次


■ 第Ⅰ部 復興とまちづくり
復興とまちづくり(吉原直樹)
東日本大震災と東北圏広域地方計画の見直し(野々山和宏)
終わりなき「中間」のゆくえ
 ―中間貯蔵施設をめぐる人びと(吉原直樹)
建設業の公共性と地域性
 ―東日本大震災復興事業調査の中間報告(千葉昭彦)
震災からの商業地の復興
 ―田老地区仮設商店街・たろちゃんハウスを事例として(岩動志乃夫)
震災遺構の保存と防災教育拠点の形成(高橋雅也)
災害記憶とその継承のための仕組みに関する考察
 ―東日本大震災の記憶継承に向けて(金城敬太)
震災まちづくりにおける官民連携の課題
 ―福島県いわき市平豊間地区を事例に(磯崎匡・ 松本行真)
東日本大震災復興に向けた組織の現状とその類型
 ―いわき市被災沿岸部豊間 ・ 薄磯 ・ 四倉地区を事例に(菅野瑛大・ 松本行真)

■ 第Ⅱ部 コミュニティ・ネットワーク・ボランテ ィア
災害の避難空間を想像するフィールドワーク
 ―内部者として、 外部者として(小田隆史)
災害支援NPOと地域コミュニティ
 ―越境する災害文化と鍵を握る平時からの協働(伊藤嘉高・ 千川原公彦)
顕在化した都心のディバイド
 ―仙台市中心部町内会と避難所の関わりから(菱山宏輔)
災害対応におけるイノベーションと弱い紐帯
 ―仙台市の官民協働型の仮設住宅入居者支援の成立と展開 (菅野拓)
長期避難者コミュニティとリーダーの諸相
 ―福島県双葉郡楢葉町 ・ 富岡町を事例に(松本行真)
沿岸被災地における 「安全・安心」 の社会実装に向けた課題
 ―福島県いわき市平豊間地区を事例に(山田修司・ 松本行真)
自主防災組織と消防団との連携のあり方
 ―宮城県東名地区の事例(後藤一蔵)
地域防災における学校施設の拠点性
 ―釜石市唐丹地区を事例として(竹内裕希子・ 須田雄太・ ショウ ラジブ)
原発事故避難者による広域自治会の形成と実態
 ―福島県双葉郡富岡町を事例に(松本行真)
コミュニティ・オン・ザ・ムーブ  ―破局を越えて(吉原直樹)

■ 第Ⅲ部 被災後の生活と情報
いわき市 へ避難する原発避難者の生活と意識(川副早央里・ 浦野正樹)
福島第一原子力発電所事故による避難者の生活と選択的移動
 ―人的資本論にもとづく 「大熊町復興計画町民ア ンケート」 の分析(磯田弦)
原発災害避難者の食生活のいま(佐藤真理子)
学校での災害発生時における避難や避難所対応について
 ―東日本大震災発生時の豊間小 ・ 中学校等の事例から(瀬谷貢一)
大学の防災における安否確認に関する考察
 ―首都直下地震に対して東日本大震災からどのような教訓を得るのか(地引泰人)
福島第一原子力発電所事故後の風評被害と心理的 「般化被害」
 ― 「絆」はほんとうに強まったか(仁平義明)
放射能は 「地元」 にどのように伝えられたのか
 ―自治体による情報発信と報道に注目して考える(関根良平)
東日本大震災後の仙台市の病院 ・ 診療所に関する支障と情報ニーズについての分析(地引泰人 ・ 大原美保・ 関谷直也・ 田中淳)
原発災害をめぐる大学生の態度(本多明生)

文献情報


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社会民主主義の舞台としての自治体病院―伊関友伸『自治体病院の歴史』
―2015年01月15日

『自治体病院の歴史―住民医療の歩みとこれから』表紙
昨年10月に医療経済研究機構より研究助成をいただき、「青森県西北五地域における広域ネットワーク型自治体病院再編による住民受療行動の変容」をテーマとした調査研究を始めている。

かつて私は山形県置賜地方で同様の調査を実施しているが、今回は、その時の反省――地域包括ケア等における自治体病院の存在意義――を踏まえ、社会的ネットワーク論の視点から住民の医療アクセスを客観的に評価し、自治体病院再編の検証を行いたいと考えている(「自治体病院がつぶれる!?―地方公営企業会計制度見直しの影響」の記事も参照されたい)。

そこで、研究の指針を磨くべく、昨年末に、自治体病院研究の第一人者である城西大学の伊関友伸教授(行政学)の謦咳に接する機会を与えていただいた。そして、最新刊である『自治体病院の歴史―住民医療の歩みとこれから』(三輪書店)を踏まえ、数々のご教示をいただくことができた。

本記事では、同書の一端をかいつまんで紹介し、自治体病院改革のあるべき方向性を改めて確認することにしたい。

「制度」を支える「感情」(共感)


伊関教授は、自治体病院の経営再建のアドバイザーとしても各地でご活躍されている。そこで何よりも重視されるのが、「制度」もさることながら、人びとの「感情」(共感による行動)である。というのも、

意見対立のなかで、とにかく「制度」をつくり、人に「強制」すればよいという考えもある。しかし、どこかに矛盾としわ寄せが起きる可能性が高い。どのように精緻に「制度」をつくっても、かならず制度の隙間が生まれ、新たな問題を生じさせる危険性が高い。隙間を様々な関係者が埋めていかなければ、「制度」はうまく運用できない。隙間を埋めるには、すべての関係者が前向きに行動を行うことが必要である。関係者に「共感」があるほうが、積極的な行動を期待できるし、「強制」による「反発」が強すぎると、人びとの前向きな行動は期待できない。「共感」による人の積極的な行動が隙間を埋めるのである。(p.619)


本書では、「自治体病院の意義」を明らかにするために、明治以降の自治体病院をはじめとする公的医療機関の歴史が、600ページ以上にわたって丹念に描き出される。それは、制度、政策面での乾燥した記述に留まることなく、各地の病院史など膨大な資料渉猟によって、当時の人びとの「思い」までもが浮き彫りにされるかたちでなされているのである(したがって、とても読みやすい!)。

「住民医療」の舞台としての自治体病院


本書では「地域医療」の代わりに「住民医療」という言葉が用いられている。地域の医療を守っていくためには、住民は「お客様」ではなく、「当事者」として参加することが必要であるからであり、そうした文化は自治体病院(その源流である公立実費診療所や医療利用組合)を舞台にして培われてきた。そして、本書を通読することで、「自治体病院が、住民に『いかに平等に医療を提供するか』と『いかに安い『費用』で医療を提供するか』という2つの命題を実現するために知恵を絞ってきたかが分かる」(p.3)。ここでの「費用」は、住民が安い費用で医療を受けられることに加え、医療保険の運営コストをトータルで安くすることも含まれる。

さらには、「住民が健康づくりを行い、医療費総額を抑えようという予防医療の考え方や、医療と福祉と健康づくりを一体的に運営する地域包括ケアの考え方は、医療利用組合や国保直診の医療機関から生まれてきた考えであった」ことも、大正・昭和初期の公立実費診療所や医療利用組合と当時の医師会の対立にまで遡って論じられる。

次には、戦後の自治体病院の発展と危機も網羅されており、今後の自治体病院史研究の橋頭堡をなす書ともなっている。これは私の不勉強だが、1962年に設立された全国自治体病院協議会(全自病)の歴史的背景と当時の関係者の「思い」を初めて知った。

つまり、全国自治体病院協議会は「武見日本医師会の政治的な圧力と経営の困難さのなかで、自治体病院は生き残りのため、自治体病院の大同団結の動きを進める」(p.303)なかで設立されたものであり、「自らの生き残りをかけて、自治省との結びつきを深めていき、地方公営企業法の財務規定の適用など経営の効率化を行う一方、国や地方自治体の財政支援の確立を目指した」(p.314)のであった。

自治体病院改革が目指すべき方向


他方で、自治体病院は無批判に称揚される存在でもない。この点についても、本書では、イデオロギーではなく現場感覚に裏打ちされた分析と知見が示される。たとえば、地方公営企業法改正(1966年)を契機とした病院の独立採算制、営利化、合理化推進に対する自治労による反対闘争について、北九州市立病院と新潟県立病院を取り上げ、こう結論される。

筆者は、労働組合の意義は否定しない。病院職員の労働環境を守ることは、質の高い医療につながる。……〔しかし〕過激な労働運動自体は、一部の住民の共感を生む一方、反発する住民も生む。すべての住民の共感を生むには、医療現場における職員の努力と医療の質を高くしようとする理念と具体的な方策が必要となる。新潟県立病院の夜勤制限闘争は、「看護婦の雇用環境の向上が医療の向上につながり、住民・患者の安心が高まる」というメッセージが住民・議会全体に伝わり、共感を広げたケースであると考える。(p.374)


また、今日の自治体病院改革に対しても、「病院の運営の自由度を高めるためには、地方独立行政法人制度の導入など経営形態の変更が必要であると病院長や病院の幹部が判断するのであれば、導入に踏み切ることもやむを得ないと考える」(p.629)としつつ、市場原理と顧客主義(NPM)の導入の問題点が明確に示される。つまり、「住民は『お客様』ではなく、地域医療の『当事者』であり、地域の医療を守るための責任を持つ」(p.628)からであり、「要はバランスの問題である。市場にすべて『お任せ』ではなく、適切な競争に組み合わせて地域の信頼や連帯の視点を意識した政策が行われるべき」(p.616)なのである。

今日の自治体病院改革は、住民が意識を変え、互いにつながり、医療者ともつながり、どの程度の費用負担によって、どの程度の医療を望み、支え合っていくのかを民主的に決定する文化を醸成する契機とならなければならないのだ。

社会民主主義の舞台としての自治体病院


ここまで同書のごくごく一部を概観してきたが(同書では、医療制度、医療政策、医育、公衆衛生、医療保険制度、地方財政制度などとの連関のなかで自治体病院のさまざまな)、広く見れば、宮本太郎が指摘するように(『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』)、日本の生活保障は、社会保障支出を抑制したまま、公共事業や業界保護による雇用保障を通して成立してきた(家族と連携して社会保障を代替してきた)。そして、仕事の配分による雇用保障は、(明示的なルールではなく)裁量的な行政と政治家の口利きによって進められ、さまざまな利権を増殖させてきた。

その結果、福祉や社会保障が政治的争点の中心になることはなく、日本社会に社会民主主義の文化が根付くことはなかった。近年になり、ようやく「社会保障と税の一体改革」が実施されるなどの動きが起きているが、市場主義的な視点からのみ改革を進めようとする勢力もまだまだ存在する。

同書によって、自治体病院は、数々の制度疲労を起こしている一方で、そうした社会民主主義の文化を醸成する舞台ともなってきたことが明らかにされていると言えよう。そうした意味でも、健康や生命の問題を経済合理性の問題に狭めてしまうような自治体病院改革は認められるべきではない(「なぜリスクは過小/過大に評価され、専門知が貶められるのか―メアリ・ダグラスのリスク文化論」の記事、さらには、本学医学科3年生の研究室研修報告書「山形県における病床機能報告制度・地域医療構想の課題」も参照されたい)。

もちろん、経済合理性の問題も無視することはできない。改革の方向性を個々の地域や病院の判断に委ねるだけでは、非効率な診療機能・医療設備の重複が残される可能性があり、医療経済面では、部分最適は実現されても、全体最適には至らない可能性がある(その典型が、今日の人口減少=過剰住宅社会のなか、移住者を呼び込むために地方の小規模自治体が進めているスプロール的な宅地開発である)。

とはいえ、強権的に広域型の自治体病院再編がなされれば、地域の住民や医療者の「感情」を無視することになり、ひいては住民医療の文化を毀損することになりかねない。自治体病院再編がどのようになされ、それによって住民医療の文化(広くは健康の経済的交換不可能性を主張する社会民主主義を含めた多元的な文化)がどう変化するのか/変化しないのかをも視野に入れた調査研究を進めてきたい。

目次


第一章 公立病院の隆盛と衰退(明治初期~中期)
一 公立病院隆盛期(西洋医学伝達の場としての公立病院設置の時期)
二 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の挫折
三 廃止が続く公立病院
四 行政目的達成のための施設(伝染病、性病、精神病、ハンセン病)
五 施療医療と公立病院
六 明治期に公立病院が必要であったのか

第二章 医療の社会化運動から戦時医療体制へ(明治末期・大正期・昭和前期)
一 貧富の差の拡大による疾病の増加と恩賜財団済生会の設立
二 大正デモクラシーと医療の社会化運動
三 社会政策の進展と公立病院
四 明治後期、大正期、昭和初期の医師養成
五 農山漁村の経済破綻と医療利用組合運動
六 国民健康保険法の制定
七 厚生省の創設
八 戦時体制により増大する地方団体の事務と地方への財源移譲
九 戦時中の公立病院、産業組合病院
一〇 戦時中の医師養成(臨時医専、戦争末期の官公立医専の新設)

第三章 戦後の復興と医療再建の時代(昭和戦後復興期)
一 第二次世界大戦の敗戦とGHQによる改革
二 国民健康保険制度の再建
三 「蚊とはえのいない生活」を目指した地区衛生組織活動(民衆組織活動)
四 当時の地方財政の状況と自治体病院の経営
五 公的性格をもつ医療機関の状況①(国の設置する病院)
六 公的性格をもつ医療機関の状況②(公的医療機関の設置する病院)
七 公的性格をもつ医療機関の状況③(現業、公社直営病院、各種共済組合病院)

第四章 国民皆保険の達成と自治体病院の試練(昭和高度成長期)
一 高度経済成長と自治体病院の危機
二 医療法改正による「公的病院の病床規制」
三 自治省との関係強化と地方公営企業法の財務適用
四 国保直診医療施設の危機と地域包括ケア
五 全国自治体病院協議会と全国国民健康保険診療施設協議会の関係
六 疾病構造の変化と自治体結核病院の一般病院化
七 経営難に苦しむ公立医科大学(国立大学への移管運動)
八 病院の経営改善に対する労働組合の反対運動

第五章 医大新設ブームと医療費抑制政策(昭和安定成長期~平成バブル期前後)
一 高度経済成長の歪みへの対応と医療の動き
二 医大新設ブーム
三 救急医療・へき地医療問題の発生と対応
四 第二臨調と医療費抑制政策
五 盛り上がる地方行革の機運と自治体病院
六 高齢者福祉・介護政策の展開(ゴールドプランと介護保険制度導入)

第六章 新自由主義的行政改革の時代(平成期・橋本行革以降)
一 橋本・小渕・森内閣の行政改革
二 地方分権改革、市町村合併と保健・医療・福祉政策への影響
三 小泉政権の新自由主義的医療改革
四 国立病院や社会保険病院・厚生年金病院の改革
五 改革を迫られる自治体病院
六 医師不足問題とあいつぐ自治体病院の経営崩壊
七 地域医療再生の動きと自治体病院

第七章 自治体病院と住民医療のこれから
一 自治体病院の歴史から学ぶもの
二 自治体病院の存在意義
三 これからの地域における医療の課題
四 自治体病院という組織に限界はないのか
五 医師の勤務する地域づくり
六 自治体病院の変革を起点にした日本の医療再生


関連リンク



書誌情報


自治体病院の歴史 住民医療の歩みとこれから
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